語らざれば憂いなきに似たり

大企業に勤めれば勤めたでそこには受け入れがたい葛藤があり、中小企業に勤めれば勤めたで大変なことがあると思います。

それを嘆いてみても、楽なところなどないと思うのです。

そうした問題とどうかかわっていくかで私たちの人生は作られていくと思うのです。

いろいろなことが起きた時は、問題を見るのではなく、自分の生き方の方を見ていってほしいと思うのです。

このところ長いブログが多かったので、今日は陽明学者の安岡正篤の「六中観」と、相田みつをさんの「憂い」という詩を紹介して終わりにします。

陽明学というのは、王陽明がおこした儒教の一派で「知行合一(知ることと行うことは分けられるものではない一つのものである)」などの教えが有名です。

その学者であり、昭和史の黒幕と言われた安岡正篤が「私は平生ひそかにこの観をなして、いかなる場合も決して絶望したり、 仕事に負けたり、屈託したり、精神的空虚に陥らないように心がけている」と言っているのです。

大変なことが起きた時に、少し思い出してみると心が楽になるかもしれません。

その「六中観」とは

一、忙中閑あり

二、苦中楽あり

三、死中活あり

四、壷中天あり

五、意中人あり

六、腹中書あり

です。

人生には誰にもつらいことや苦しいときがあるものです。

そんなときは、この「六中観」を思い出したり、次に紹介する「憂い」という詩を思い出すといいと思います。

憂い

むかしの人の詩にありました
君看よ双眼のいろ
語らざれば憂い無きに似たり

憂いがないのではありません
悲しみがないのでもありません
語らないだけなんです

語れないほどふかい憂いだからです
語れないほど思い悲しみだからです

人にいくら説明したって
全くわかってもらえないから
語ることをやめて
じっとこらえているんです

文字にもことばにも
到底表せない
ふかい憂いを
おもいかなしみを
こころの底ふかく
ずっしりしずめて

じっと黙っているから
まなこが澄んでくるのです

澄んだ瞳の底にある
ふかい憂いのわかる人間になろう
思いかなしみの見える眼を持とう

20171123_102247君看よ双眼のいろ
語らざれば憂い無きに似たり
語らざれば憂い
無きに似たり

いつも私のブログを読んでいただき、ありがとうございます。

もう巷はクリスマスです!

今日のひとこと
「誰にだってつらいときや苦しい時があるものです。それを越えて生きるから美しい花が咲くのです」


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引用元について:
こちらの記事はhttp://blog.livedoor.jp/sugiiyasuyuki/archives/52115512.htmlより引用させて頂いております。