副 業

3年前に開催されたソチ冬季五輪の開会式・・・皆さんはご記憶でしょうか?

天井から吊るされた5つの巨大な雪の結晶が徐々に五輪マークに変わる演出で、右上のひとつだけがうまく開かず、五輪が四輪になった・・・と言われれば、「あぁ、そうそう!」と思い出す方も多いでしょう。

しかしその開会式の最中に流れた『韃靼人の踊り』という曲を憶えている方は、あまりいないかもしれません。

今日は、その曲を作った

 アレクサンドル・ポルフィーリエヴィチ・ボロディン

     Alexander Porfir’evich Borodin

の命日・没後130周年にあたります。

          

音楽の授業で〝ロシア5人組〟って聞いた記憶がある方もいらっしゃるでしょうが、キュイ・バラキエフ・ムソルグスキー・リムスキー=コルサコフと並ぶメンバーの1人である彼は、1833年にサンクトペテルブルクの貴族の私生児として生まれました。

幼少時からビアノのレッスンを受け、9歳から小品の作曲をしていたそうですが、彼が専攻したのは音楽ではなく化学。

更に地元大学の医学部に入り、最優秀で卒業すると陸軍病院に勤務・・・殆ど音楽とは無縁でした。


その彼が作曲に興味を持つキッカケとなったのは、24歳の時に医学の学会出席のためヨーロッパに長期出張したこと。

その頃ムソルグスキーと知り合った彼は、翌年にドイツのハイデルベルク大学に留学した際に結核療養中のロシア人女流ピアニストのエカテリーナと出会い、後に結婚。

彼女の影響で音楽の世界に触れるようになった彼は、30歳の時にバラキエフと出会ったことで本格的な作曲法を学ぶように。

約5年の歳月をかけて作曲した交響曲第1番がバラキエフの指揮によって1869年に初演されると、その年に彼の最も有名な作品の歌劇『イーゴリ公』の作曲に着手。

この中の第2幕・序曲が、冒頭ご紹介した『韃靼人の踊り』。

しかし彼はこの歌劇を完成させることなく、53歳だった1887年2月15日・・・友人たちとの会食中に動脈りゅう破裂により昏倒、そのまま帰らぬ人に。

彼の作品は交響曲3曲に、有名な交響詩 『中央アジアの草原にて』 や弦楽四重奏曲などがありますが、総数は決して多くはありません。

その理由は・・・彼の本業はあくまで化学者・医師であり、『ボロディンの化学式』 を残している彼にとって作曲は、あくまでも余技みたいなものだったから。

その証拠に、彼は自らを〝日曜作曲家〟と言っていましたし。

しかし我々凡人の〝日曜大工〟とは違い、彼の作品や編み出した和声法はラヴェルやドビュッシーなどに影響を与えました。

その才能は、芸術であり科学者でもあったレオナルド・ダ・ヴィンチに匹敵するレベルだったと思います。

それではロシアの産んだ天才副業作曲家の冥福を祈りつつ、JR東海のCMでも使われた『韃靼人の踊り』を、サイモン・ラトル指揮/ベルリン・フィルの名演でお楽しみください。笑3

 

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