歌 姫

その歌唱力・表現力・声の伸びは、圧倒的でした。

今日は、アメリカ・・・というより世界を席巻した歌姫、

 ホイットニー・エリザベス・ヒューストン

        Whitney Elizabeth Houston

の命日・・・早いもので、日本流でいえば七回忌にあたります。

    

ホイットニーは1963年、かつてプレスリーのバックコーラスも務めた母シシー・ヒューストンの3番目の子としてニュージャージー州ニューアークで生まれました。

従姉も歌手だそうですから、ヒューストン家にはミュージシャンの血が色濃く受け継がれているのでしょう・・・彼女も幼少時から教会で歌い始め、早くも11歳で聖歌隊のソロを務めています。

その後両親が離婚し、養育権を得た母から歌を教えてもらっていた彼女は、10代からモデルもする傍らチャカ・カーンのバック・ヴォーカルもこなすなど活躍。

そんな彼女がニューヨークのナイトクラブで歌っていたところをアリスタ・レコードの社長クライヴ・デイヴィスにスカウトされたことが、彼女をスターの道へと誘いました。

1985年のデビュー・アルバム『そよ風の贈りもの』がいきなり大ヒット。
セカンドアルバムもビルボード200チャートで第1位に。

そして私が彼女の歌う姿を鮮烈に記憶したのは、1991年スーパーボウルでの国歌斉唱。(↓)
※1分過ぎからご覧ください。

これは今でも史上最高のアメリカ国歌と評価する方が少なくありません。

そしてこの翌年に公開された初主演映画『ボディーガード』でケビン・コスナーと共演し、同作のサウンド・トラックが1994年のグラミー賞最優秀アルバム賞を受賞した頃が、彼女の絶頂期でした。

映画が公開された1992年に歌手のボビー・ブラウンと結婚し、翌年に一人娘クリスティーナちゃんを出産。
(※残念ながらクリスティーナさんは2015年に22歳で死去しました。)

その後2本の主演映画が公開され、アルバムもリリースするなど歌手活動も復活させた彼女に、暗雲が漂い始めます。

2000年に大麻所持でハワイの空港で拘束され、薬物使用を告白。
更に夫のDVも取り沙汰されるようになり、プライベートは大荒れ。

2004年から1年余りリハビリ施設に通い、2006年には離婚。

心機一転して2009年にリリースしたアルバム『アイ・ルック・トゥ・ユー』がビルボード200チャートで1位を獲得し立ち直ったかと思われましたが、翌年からスタートさせたワールドツアーでは息切れを起こしたり感染症を起こして入院するなどトラブルが重なります。

そして2011年7月からアルコール・薬物依存からの復帰プログラムを再開した彼女が、グラミー賞の前夜祭に参加するために滞在していたビバリーヒルズにあるホテルの浴槽で倒れているところを発見されたのが、2012年2月11日のこと。

救急隊が駆けつけたものの蘇生できず、彼女はこの日48歳で天に召されたのです。

遺体からコカインが検出されていたことから、死因は入浴中に薬物の影響で心臓発作が起き、そのまま浴槽に沈んだ末の溺死と発表されました。

アルバム1億4千万枚以上、シングル5千万枚以上売上げた世界の歌姫が、なぜ薬物に手を出したのか?

その理由は彼女にしか分かりませんが、トップに昇り詰める程に孤独感と不安にさいなまれたのかもしれません。

最後に彼女の最大のヒット曲と言える、映画『ボディーガード』の主題歌〝オールウェイズ・ラヴ・ユー(I Will Always Love You )〟を聴きつつ、ホイットニーの冥福をあらためてお祈り致しましょう。笑3

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