苦労人

2017-11-17 07:07:07
テーマ:

知っている彫刻家は、誰?・・・と世界中の人々からアンケートを取ったら、まず殆どの方がこの人の名を挙げることでしょう。

 フランソワ=オーギュスト=ルネ・ロダン

    François-Auguste-René Rodin

 

今日は、この19世紀を代表する・・・というより、人類を代表するといってもいい彫刻家の命日・没後100周年にあたります。

 

       

 

しかし名声を欲しいままにするこの偉大な芸術家の生涯は、苦労・苦難の連続でした。
 

1840年に警察の事務職を務める父親の2人目の子としてパリに生まれたロダンは、10歳の時に初めて絵を描いたことで美術に目覚めましたが、それまでは専門的な美術教育を受けたわけではありませんでした。

 

14歳の時に入った地元の工芸学校の教師・ボードランが彼の才能を高く評価し、多くの画家や彫刻家に引き合わせてくれましたが、17歳で同校を退校し名門美術学校エコール・デ・ボザールへの入学を志したものの、3年連続で不合格。

 

失意の中、仕方なく室内装飾の職人となって食い繋ぐロダンに、更に修道女となっていた姉が病死するという不幸が追い打ちをかけます。

彼女の後を追うように修道院入りして神学を目指そうとした彼でしたが、美術の道に戻るよう司教に諭された彼は動物彫刻の大家アントワーヌ・ルイ・バリーに弟子入り・・・これが、彼を彫刻の世界へと誘うことに。         

 

普仏戦争の際は近視だったために徴兵を免れたものの、24歳の時に結婚し子供をもうけた彼は生活費に困りベルギーに移住し、そこで建設作業員として6年間働きます。

そこで蓄えた貯金を手に、彼は妻を伴ってイタリアを旅行・・・同地でドナテッロやミケランジェロの作品を目の当たりにし、大きな衝撃を受けました。

ベルギーに戻るや、早速等身大の男性像 『青銅時代』 を制作。

これがあまりに精巧であったため 「人間から型を取ったのではないか」 と疑われて憤慨した彼は、2年後人間よりも大きな彫刻を完成させて専門家から絶賛を浴び、ロダンの名は一躍有名に。

創作活動の中、女性の弟子カミーユとの不倫問題に悩まされるなどしましたが、ロダンは1917年11月17日・・・妻ローズの死から僅か9ヶ月後、そして自身が77歳の誕生日を迎えた5日後に生涯を閉じるまで、未完成の 『地獄の門』 や186体もの単独像など、数多くの問題作・話題作を遺しました。

 

その数ある作品の中で最も有名と言えるのが、『考える人』 でしょう。

        

 

これは単独作ではなく、『地獄門』 の上部に据えられたもの。

 

モデルは 『神曲』 の作者ダンテ、あるいはロダン自身とも言われています。

 

          

そして元々は 『詩人』 と名付けられていたものを、ロダンの没後に鋳造したリュディエという人物が 『考える人』 と改名(?)したとのこと。

 

この作品は全世界で50体以上鋳造されていますが、日本では内閣総理大臣を務めた松方正義氏の息子・松方幸次郎氏が 『松方コレクション』 の一環としてロダンの作品を買い求めたこともあり、東京の国立西洋美術館とブリヂストン美術館、京都国立博物館、静岡県立美術館・長島美術館(鹿児島)の5ヵ所で展示されています。

 

芸術の秋・・・物思いにふけるべく、ロダンの名作をあらためて鑑賞したいものですネ。笑2
 

※現在、映画 『ロダン カミーユと永遠のアトリエ』 も公開中です。
  興味のある方は、是非ご覧ください。  (予告映像は、こちら↓)

 

             http://rodin100.com/

 

 

             ペタしてね

 

              人気ブログランキング

こちらの記事はhttps://ameblo.jp/warmheart2003/entry-12229044592.html?frm=themeより引用させて頂いております。