黒縁眼鏡

私も営業マン時代は盛んにお客様をヨイショしましたが、この方には敵いません。

 8代目 橘家 圓蔵 師匠

今日は、個人的には5代目・月の家圓鏡の方がしっくりくる、この人気落語家の命日・一周忌にあたります。

圓蔵(本名:大山武雄)師匠は、1934(昭和9)年に現在の東京都江戸川区に生まれました。

紙芝居屋を経て、18歳の時に4代目・月の家圓鏡(後の7代目・橘家圓蔵)師匠に弟子入り。

3年後二つ目に昇進、更にその10年後・31歳の誕生日直前には真打ちとなり、5代目・月の家圓鏡を襲名します。

頭の回転が速く、当意即妙のなぞかけやナンセンス・ギャグが得意で、テレビ・ラジオ番組で人気を博すと同時に、古今亭志ん朝・三遊亭円楽・立川談志各師匠と共に〝落語四天王〟と呼ばれました。

極度の近眼だったため、当時はタブーとされた黒縁眼鏡をかけたまま高座に上がったことも話題に。

「ヨイショッと」が常套句で、兄弟子の初代・林家三平師匠が 「ヨシコさん」 で売ったのに対抗して、自らの愛妻・節子夫人を 「ウチのセツコが・・・」 というフレーズを多用し、これがウケました。

ただ個人的には、圓鏡師匠といえば落語家というよりテレビ・ラジオ番組によく出演したタレント・・・テレビの 『お笑い頭の体操』 やラジオの 『月の家圓鏡のハッピーカムカム』 は良く視聴してました。

「早いのが取り柄の圓鏡」なんてフレーズが、今でも耳に残っています。


また焼き肉のエバラ食品やメガネクリンビューのテレビCMにも出演されていましたネ。

           

しかし1978年に勃発した落語界の分裂騒動時には、師匠の言動に振り回された挙句一時は落語協会脱退の窮地に立たされましたが、何とか復帰。

その直後に亡くなった師匠の跡目を周囲から推されて継ぐこととなり、1982年に8代目・橘家圓蔵を襲名。

多くの弟子を統率し、一門の看板を背負う立場となりました。

一見明るく破天荒な芸風でしたが、性格的には生真面目で周囲に対する細やかな気遣いをする方だったそうですが、それが災いしてか1970年代にはストレスで自律神経失調症を患い、頭髪がすべて抜けたこともあったそうな。

それを隠すためにカンカン帽をかぶった高座に上がり、それがまたウケたとか。

またカツラを使っていることに目を付けたカツラ・メーカーからCM出演の話があり、家一軒分の出演料を提示されたものの、断った・・・になんて裏話も。

やはり人を笑わせ続けることって、大変なんですネ。

圓蔵襲名後は高座に専念したものの、2012年頃から呂律が回らなくなり、実質的に引退。

また2010年に奥さんが亡くなられた後は一人住まいを続け、弟子が交代で寝泊まりして世話をしたとか。

2015年5月に長女宅に転居しましたが、その5ヶ月後の10月7日に寝室で倒れ救急車で搬送されたものの、そのまま意識が戻ることはなく・・・心室細動により81歳で天に召されました。

それでは、中高年には懐かしい在りし日の圓蔵師匠の高座『鰻の幇間』をご覧いただきつつ、ご冥福をお祈り致しましょう。笑3


             ペタしてね

             人気ブログランキング

こちらの記事はhttps://ameblo.jp/warmheart2003/entry-12116204685.html?frm=themeより引用させて頂いております。