1,000

スポーツの世界には、大台というか切れ目の良い記録が達成されると注目されますょネ。

例えばプロ野球なら、名球会の入会資格である2,000本安打や200勝などがそれに当たります。

でもそれは大抵通算〇〇人目、という注釈がつきますが・・・今日は、サッカー界に於いて今後まず達成できる選手はいないだろうと思われる大記録、通算1,000ゴールが生まれた記念すべき日なのです。

達成した選手の名は、

 エドソン・アランチス・ドゥ・ナシメント
   Edson Arantes do Nascimento

えっ、誰それ? と思われる方が多いかもしれませんが、サッカー・ファンの方ならもうお分かりですょネ。

そう、ブラジルの生んだ〝サッカーの神様〟・ペレなんです。

         

彼は1940年にブラジル南東部ミナスジェライス州のトレス・コラソンエスで生まれましたが、同時期に街に電気が通うようになったことから、発明王エジソンのに因んでエドソンと名付けられました。

ペレという愛称は、彼自身が元プロサッカー選手だった父親がかつて所属していたチームのゴールキーパー・ビレのファンだったことからつけられたそうな。

父と同じサッカー選手を目指して日々ボールを追っていた彼は、その夢を早くも15歳にしてプロチームのサントスに入団することで叶えます。

身長僅か171cmながら、100m10秒台で走る俊足とジャンプ力を生かし、自分より大柄な相手選手に競り勝ってヘディングシュートを次々と決め、早くからスター選手として活躍。

16歳9ヶ月でブラジル代表入りを果たし、4回のW杯に出場し、チームを3回優勝に導きました。

その国民的英雄が通算1,000ゴールを挙げたのは、あのマラカニアン・スタヂアムで65,000人の大観衆が見守る中、今から47年前の今日・1969年11月19日に行われた対ヴァスコ・ダ・ガマ戦。

それでは、後半33分にペナルティーキックで決めた歴史的瞬間を、映像でご覧ください。

達成した直後は、試合そっちのけでお祭り騒ぎ。

ブラジル政府は、ペレに勲章を与え、翌日を休日に。
更に1995年には、この11月19日を『ペレの日』に制定したのです。

その昔王選手がハンク・アーロンの記録を抜いて756号のホームランを放った2日後に初の国民栄誉賞を授与されましたが、さすがに翌日を休日にはしませんでしたし、『王貞治の日』は制定されていません。

こんなところも国民性の違いと言えましょうか。

その後1977年まで現役を続け、実働22年間で公式戦・親善試合を合わせ1,375試合に出場し、通算得点は1,281得点。

あのディエゴ・マラドーナが1976~98年までで609試合に出場して通算305得点、日本のエース・ストライカー釜本邦茂選手が1967~84年までで544試合で416得点でしたから、いかに凄い記録かお分かり頂けるかと。

しかし世の中、上には上がいるもので・・・ペレよりも前に初めて黒人としてブラジル代表入りし43歳まで現役を続けたアルツール・フリーデンライヒ選手は、通算1,329得点を上げ、ギネスブックにはこの記録が最多得点と認定されています。

更に非公認ながら、ドイツの〝爆撃機〟ゲルト・ミュラー選手の1,461得点(公認されているのは735)という記録も。

まぁいずれにせよ、今後通算1,000ゴールという記録は今後まずお目にかかることはないでしょう。

だって、メッシもロナウドもまだ500ゴールに到達していないんですから・・・。うー

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