一触即発 < 上 >

現在は核軍縮交渉が世界的になされる時代ですが、第二次大戦後は東西冷戦の中アメリカ・ソ連は核軍備拡張路線をひた走っていました。

その中で、今から約半世紀前にあわや第三次世界大戦勃発か・・・と世界中が核戦争の恐怖に包まれた一瞬がありました。 世に言う


   キューバ危機

 (Cuban Missile Crisis


がそれですが、この米ソ対立が表沙汰になったのが51年前の今日・10月22日にケネディ米大統領が発表したキョーバに対する海上封鎖でした。

これに先立つ1959年1月、革命を成功させ実権を握ったフィデル・カストロ首相がアメリカを訪問した際、時のドワイト・アイゼンハワー米大統領はゴルフを優先して公式会談を欠席。

さすが歴代大統領で最もゴルフ狂といわれた彼の面目躍如です。


しかしこうしたアメリカ側のナメた対応に激怒したカストロは、その後自分を共産主義者と位置付けあからさまに敵視するアメリカに見切りをつけ、彼らと対峙していたソ連に急接近。

この動きを警戒したアメリカは、1961年1月にキューバと国交を断絶。


そして同年4月に在米亡命キューバ人部隊を支援してキューバ国内のアメリカ資産を接収するカストロ政権の転覆を試みる (ピッグス湾事件) も失敗。

(※この失敗がケネディとCIAの対立を生み、後の暗殺に発展したとの説あり)


その直後にカストロは先のキューバ革命が社会主義革命であることを宣言し、ソ連との関係を一層緊密にしていきます。

      ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草

            <カストロとフルシチョフ首相兼第一書記>


本土の喉元に親ソ社会主義国が誕生したことに危機感を抱いたケネディは、ピッグス湾事件後もマングース作戦の立案などキューバの破壊活動を極秘裏に進め、1962年10月20日をXデーと定めて軍に対しキューバ侵攻作戦を承認していましたが、キューバ側も黙ってはいませんでした。

アメリカ側の侵攻に備えるため、カストロはソ連に武器供与を依頼。


それを受けてソ連はキューバと国交を結び、当時圧倒的に遅れていた核兵器配備の不均衡を打破すべく、アメリカ本土に直接着弾できる位置にある同国にミサイルを配備。

960トンもの核弾頭は1隻の砕氷船にまとめて積み込まれ、密かにキューバに運び込まれました。

       ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草


一方1962年夏頃からソ連の貨物船が頻繁にキューバの港に出入りしていることを把握したアメリカ側はキューバ国内の空中偵察を続けていたところ、10月14日に撮影された写真からソ連製準中距離弾道ミサイル等の存在を発見、その一報は16日にケネディ大統領の耳に入ります。

この事実を知った国防総省やCIAは基地爆破などの強硬論を主張しますが、ケネディ大統領はそれを抑え、10月22日にキューバにソ連製ミサイルが配備されたこと、その対抗措置としてキューバ周辺の海上封鎖とソ連船の臨検を行う旨を全米に向けテレビ演説を行いました。

        
       ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草


           <TV演説を行うケネディ大統領>

この演説中に米軍は国防レベルを通常から2段階上げた〝デフコン3〟に移行。


アメリカ国民も全面核戦争の可能性を報じるマスコミ報道に半ばパニック状態となり、水や食料を買い溜めするためスーパーマーケットに殺到。


まさに一触即発の事態となりました。



                ・・・・・To be continued!

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こちらの記事はhttps://ameblo.jp/warmheart2003/entry-11557062203.html?frm=themeより引用させて頂いております。