後 悔


今日は、日本にとって忘れられない科学者の一人、


 ジュリアス・ロバート・オッペンハイマー 博士

    Julius Robert Oppenheimer


の命日にあたります。


言わずと知れた、広島・長崎に落とされた原子爆弾の生みの親・・・マンハッタン計画の原爆開発のチームリーダーでした。


オッペンハイマー博士は、1904年のニューヨーク生まれ。


ドイツ人の父とユダヤ系の母の間に生まれた彼は、子供の頃から鉱物や地質学に興味を持ち、最終的には6か国語も操るほどの秀才でした。
(もっとも、運動はからっきしダメだったそうですが・・・。)


飛び級でハーバード大学に進み化学を専攻、最優秀の成績で卒業後はケンブリッジ大学などに留学して博士業を獲得。


マックス・ボルンとの共同研究で〝ボルン・オッペンハイイマー近似〟を発表します。


その後25歳にしてカリフォルニア大学バークレー校・カリフォルニア工科大の助教授、32歳にして教授に昇格し、物理学を教えた生粋の科学者でした。


それまでは主としてブラックホール関連の宇宙物理学を専攻していた彼の運命を大きく変えたのは、第二次世界大戦。

1938年にドイツの科学者が核分裂実験に世界で初めて成功し開発を先行する中、亡命ユダヤ人科学者レオ・シラードがナチス・ドイツの原爆開発を恐れ、アインシュタインの署名を借りてF・ルーズベルト大統領にアメリカも核開発を行うよう勧めた信書を贈ったことが発端となり、原爆開発を目的とした 『マンハッタン計画』 が1942年10月にイギリス・カナダも加えてスタート。


オッペンハイマー博士は1943年に同計画の研究施設・ロスアラモス国立研究所の初代所長に任命され、集められた錚々たる科学者集団のトップとして原爆開発を主導。

そして1945年7月6日に世界初の原爆実験に成功、8月6日に広島・8月9日に長崎で原爆投下がなされたのです。

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しかし実のところ、彼自身は自ら開発した爆弾を落とすのではなく絶対的な破壊力を持つ核兵器を開発することによって、敵の戦闘意欲を削ぐことで戦争を止めることを考えていたとか。

それ故、実際に原爆が日本に投下されたことに深く絶望・後悔。


「科学者は罪を知った」という言葉を残し、更にその罪滅ぼしからか後年彼は日本人科学者がアメリカで研究できるよう尽力したといわれています。


そんな彼の言動からか、アメリカから見れば本来なら太平洋戦争を終結させたヒーロー・・・のはずだったのに、後半生は悲惨でした。


1947年にはアインシュタイン博士も加わったプリンストン高等研究所の所長に任命されたものの、核兵器の国際的管理を呼びかけ、ソ連との核兵器開発競争を防止すべくロビー活動を行い、更には水爆開発に反対。


同時にアメリカ国内で始まったレッドーパージにより、妻や実弟夫妻が共産党員で彼自身も共産党系の集会に参加したことが暴露されたため、1954年に原子力委員会から機密保全保持疑惑により休職処分に。


実質的な公職追放となった彼はその後常時FBIの監視下におかれ、不自由な生活を強いられた末、1967年2月18日に62歳でこの世を去りました。


見た目よりかなり老け込んでいたという彼は、自身が悪魔の兵器を開発した後悔に苛まれ、自らの命を縮めてしまったのかもしれません。


こうしてみると、私には彼がドラマや映画の如く悪者に体よく利用された純粋な天才科学者の姿と重なって見えてしまいます。


中にはオッペンハイマー博士を恨む日本人もいると思いますが、私は彼自身を責めるつもりはありません。


何故なら彼がしなくとも、やがて誰かが原爆を開発したでしょうから。

むしろそれを実際に日本に投下することを決定した人種差別主義者F・ルーズベルト大統領と、その威力をろくに知らぬまま投下を実行した後任のトルーマン大統領こそ責められるべき・・・だと私は思います。


しかし一方で、もし原爆投下がなかったら本土決戦止む無しと思っていた大本営はズルズルと戦争を続け、日本は朝鮮半島のように分割統治されていたかもしれません。


歴史のアヤは、複雑です。 うー

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こちらの記事はhttps://ameblo.jp/warmheart2003/entry-11403364514.html?frm=themeより引用させて頂いております。