我 儘

子供であれ社会人であれ、何事においても〝初動教育〟が一番大事・・・私はそう思っているんですが、それを逆の意味で象徴する出来事が今から25年前の今日・1987年12月27日に起きました。


それは、当時の横綱・双羽黒(本名・北尾光司)が親方と大喧嘩の末、部屋を飛び出して都内のマンションに籠城するという、前代未聞の大騒動。


北尾少年は三重県津市の生まれ。


子供の頃から図抜けた体格と優れた運動神経の持ち主で、通っていた小学校にできた土俵の上で相撲を取り始めるとすぐに強くなり、相撲部がなかった中学時代には高校に出稽古に行くなど、既に各界では有名な存在だったとか。


高校卒業を願う両親の反対を振り切って立浪部屋に入門し、すぐに頭角を現したのですが・・・稽古態度に問題を抱えていました。


父親が会社役員を務めていた裕福な家庭の一人息子だったためか、甘やかされて育った彼は無類の稽古嫌い。


そりゃあそれまで体格と素質だけで勝ち進んできたわけですから、そうなるのも致し方ないのですが、入門先の親方も彼を手放したくないかったからか、腫物に触るような扱い。


二言目には 「故郷に帰らさせていただきます」 と駄々をこねても叱られることはなく、また稽古をサボッて喫茶店に入り浸っていても見て見ぬふりしていたそうですから、彼が増長し親方をナメてかかっても致し方のないところ。


それでも恵まれた才能を発揮して大関に昇進し、1986年5月場所に12勝3敗、夏場所には14勝1敗で優勝決定戦に持ち込んだものの、千代の富士に敗れ2場所連続の準優勝。


当時の角界は千代の富士が長く1人横綱であったこともあり、横綱審議会は一度も優勝していない北尾関を一部の反対を押し切って横綱に推挙。


更には双葉山と羽黒山という大看板2人を足して2で割った双羽黒という壮大な四股名まで与えたのですが・・・。

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親方ばかりか協会ぐるみで甘やかして〝作り上げられた横綱〟は、しかし・・・というか、やはり大成することはありませんでした。


横綱昇進後は優勝争いには絡んだものの、千代の富士の壁は厚く賜杯を手にすることは出来ず。


部屋で 「あんなちゃんこが食えるか!」 と文句を言ったことで親方と大喧嘩し、とりなそうとした親方夫人や後援会長にケガを負わせ、部屋を飛び出したとされています。


ただこの時の経緯については両者の言い分が違うので、横綱が暴力をふるったかどうかは定かではありません。


また親方にも祝儀金の着服疑惑など金銭問題が後に囁かれていますので、一方的に横綱が悪かったとは言えないようですが、いずれにせよ子供のような我が儘な振る舞いであったことは事実。


結局彼は部屋に戻らぬまま、大晦日に親方が廃業届を提出し協会は受理。


横綱在位僅か8場所・優勝回数ゼロ・24歳の若さでの廃業という大相撲始まって以来の不祥事となりました。


その後プロレスラーに転向したものの、またも傲岸不遜な態度を続けて結局はプロレス界からも追放。


最初に甘やかされたツケが、結局彼の才能を潰してしまう格好となりました。


最近は再び相撲界に戻って真面目に後進の指導をしているそうですが、彼もそれなりの苦労をし高い代償を払ったことでしょう。


もし子供の頃や入門したての頃に厳しく指導されていれば、そんな回り道をすることなく大輪の花を咲かせていた可能性が高かっただけに、残念。


その後の朝青龍も、親方の甘い指導の結果同じような結末を迎えました。


才能を伸ばすも潰すも、指導者や親次第。

時には〝心を鬼にする〟ことが必要のようです。うー



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こちらの記事はhttps://ameblo.jp/warmheart2003/entry-11357696474.html?frm=themeより引用させて頂いております。