談 話

我が国にとって8月4日は記念日というよりも、外交上忘れてはならない〝忌まわしい日〟といえるかもしれません。

今から19年前の今日・1993年8月4日、当時の内閣官房長官・河野洋平氏が

「長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。 慰安所は当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置・管理及び慰安婦の移送については旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。」

などと従軍慰安婦・慰安所の存在を公式に認めた、いわゆる

 『河野談話』

を発表しました。

この談話では韓国人従軍慰安婦を日本軍が強制連行したと認めたわけではありませんが、その微妙というか中途半端な言い回しが、結果的に〝従軍慰安婦問題〟として現在に至るまで韓国の外交カードとして使われる原因となったことは明白。

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元来、この〝従軍慰安婦問題〟は日韓間に存在しませんでした。

これが発生したきっかけは、下関市議選に共産党から立候補・落選した経歴を持ち、自らも旧日本軍人だった吉田清治(筆名)なる人物が1983年に出版した 『私の戦争犯罪』 において、太平洋戦争時に日本軍人が朝鮮人女性を慰安婦として強制連行したと証言、また自らも韓国に赴いて講演・謝罪を繰り返したことに端を発しています。

しかし彼以外に同様の証言を行う旧日本軍人はおらず、またこの証言に関しては地元・韓国の 『済州新聞』 が取材の結果 「この著作は捏造」 と1989年に発表。

また1992年には日本の歴史学者が現地で聞き取り調査を行った結果全く裏付けは取れず、著者本人も後に創作があったことを認め、現在この著作は歴史証言としては全く評価されていません。

ところがこの著作が出版された後、「自分は強制的に慰安婦にさせられた」と証言する韓国人女性が現れ始めます。

その証言の多くには矛盾点が指摘されており、当初日本政府は否定的な態度を取っていたのですが、1992年に当時の宮沢首相の訪韓前にこの問題を発端にして反日感情が激化。

情けないことに同首相は、充分な調査を行う前から謝罪を繰り返したのです。

これを受けて韓国政府は徐々に対日圧力を強め、1993年には日本の教科書にこの問題を記述するよう要求。

そしてこの問題の存在を正式に認める形となったのが、この河野談話だったというわけです。

慰安婦の存在自体は確かですし、それは日本軍に限らず世界中にあったこと。 

しかし地元の新聞社が捏造と断じた書籍のおかけで、我が国は半ば 「強制連行」 したという冤罪を押し付けられ、あろうことかそれを〝政治的判断〟で追認する形となったことは、日本外交史上特筆すべき大失態・・・だと私は思います。

こういう経緯は、竹島や北方領土の実効支配と同じ。

毅然として相手の言い分を突っぱねないとジワジワ既成事実化されてしまうのですが、残念ながら日本には将来を見据えることなくその場凌ぎのために媚を売る政治家が多いのです。

もちろんこの談話は彼個人の意見ではなく時の政府自体の弱腰に起因したものではありますが、一人の政治家の不用意な発言が後世に多大な悪影響を及ぼす格好の実例として、永久に歴史に残ることでしょう。うー

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こちらの記事はhttps://ameblo.jp/warmheart2003/entry-11236279127.html?frm=themeより引用させて頂いております。