
220,761
一昨日の衆院選では、現職閣僚が8人も落選するという我が国憲政史上例をみない惨敗を喫した民主党。
特に注目されたのは、新潟の女王・田中真紀子文科相の落選でした。
「田中王国の滅亡」 とマスメディアが評したこの敗北・・・ご本人も逆風を強く感じて危機感を抱いていたことは間違いないでしょう。
しかし今から30年近く前の今日・1983年12月18日に行われた第37回総選挙で彼女の父・田中角栄氏が受けた逆風の強さは、今回の比ではなかったはず。
その2ヶ月前にロッキード事件の第一審判決で懲役4年・追徴金5億円の有罪判決を受け、田中氏本人は即日控訴したものの世間は金権政治批判の大合唱。
これを受けて当時の中曽根総理がいわゆる〝田中判決解散〟を行っての総選挙でした。
この時作家の野坂昭如氏が田中氏の地元・新潟3区で立候補を表明、世間の耳目を集めたことを憶えている中高年の方も多いと思います。
当時のウラ話を、田中氏の秘書・早坂茂三氏の著書 『怨念の系譜』 からご紹介致しましょう。
◇ ◇ ◇ ◇
作家の野坂昭如が田中批判の風に乗って三区から立候補した。
ところが、他所者の悲しさで動こうにも道が分からない。
野坂の車に続く十数台の報道関係の車が雪道で立ち往生を繰り返した。
そのたびに警察や消防に助けてもらっている。
この話を聞いた角栄が私に笑って指示した。
「あれの父親は戦後、新潟の副知事を務めたが、息子は雪国の怖さを知らない極楽トンボだ。 無茶すると風邪をひくぞ。 あったかい肌着や靴下、長靴、手袋を差し入れてやれ。」
公示から5日後、私は長岡駅前のホテルを根城にした旧知の〝道化師〟と支配人を通じて内々に連絡を取り、深夜午前2時に人目を避けて部屋を静かにノックした。
主人の口上を述べて持参の品物を渡したが、呆然とした小説家の表情を今でも覚えている。
「あの差し入れで大助かりした。角さんによろしく伝えてくれ。 選挙は2度とやらない。」
総選挙の余韻が収まった頃、私に電話をかけてきた〝敗軍の将〟の弁である。
この時の田中氏の得票数は、220,761票。
全有効投票数の46.65%という、憲政史上最高の有効投票率である。
これに対して野坂氏の得票は僅か20,845票・・・惨敗であった。
◇ ◇ ◇ ◇
もちろん、当時のマスコミにはこんな裏話を知る者はありません。
当時東京で勤務していた私は、この選挙後の飲み屋で 「ったく、新潟の選挙民は何を考えているんだか・・・」 と話をしているサラリーマンを何人も見ました。
まだ社会人3年目のヒヨッ子サラリーマンだった私も、その意見に異を唱えることはありませんでした。
しかし現在の口先ばかりの政治家と見比べる時、その圧倒的な強さは神がかり的としか言えません。
逆風をものともせず・・・いや、むしろそれをバネにして最高得票を獲得してしまう強さ・力量を持った政治家は、果たして今何人いるのでしょう?
政治家に求められるのは決断力と実行力、そして何より実績。
自分たちにとって、誰が頼もしいのか?・・・地元民の答えは既に決まっていたのでしょう。
確かに演説のうまさは父親譲りの田中真紀子氏ですが、それが実績に結びつかない限りいくら愛娘だからといっても、地元有権者は票を入れ続けるほど甘くはなかったようですネ。
こちらの記事はhttps://ameblo.jp/warmheart2003/entry-11268952163.html?frm=themeより引用させて頂いております。

