【重要】 なべちゃんの失われた14日間

おはようございます。


今まで4年近くにわたり毎日欠かさず更新していた拙ブログを、先月28日から今月1日まで5日間、何らの予告・説明なく更新せず、また今月2日から昨日まで更新を再開したとはいえ、せっかくいただいたコメントに返信することなく失礼な対応に終始し、皆様にご心配や不信感などを与えてしまいましたことを、まずもって心よりお詫び致します。


本日は、何故にこのような事態に至ったか・・・をご説明させていただきます。


またこの件に関し、コメント・メッセージ等で多くの読者の方々からご心配・お気遣いなどをいただき、大変嬉しいと同時に申し訳なく思っておりますが、本ブログをもってご返信とさせていただくことをどうかお許しください。


本来ブログを更新作業しているはずの先月28日午前5時前後・・・実は私、冗談抜きで生死の境を彷徨っておりました。


それを若干遡る10月27日午後、たまたま1人でデスクワークしていた私は、突然手足の震えに襲われます。


携帯電話のボタンを押せない程の過去に体験したことのない大きな震えでしたので、大事を取って救急車を呼んだのですが・・・その数日前から胃腸のあたりの膨満感と微熱という風邪の症状がありましたので、その時点ではそれほど深刻に考えておらず、とりあえず女房には電話で行き先を伝え、同区内の総合病院へ搬送してもらいました。


ところが病院に到着したあたりから猛烈な腹痛に襲われ、すぐにCTスキャン査などの検査結果を見た同医院の外科医から


「渡辺さん、風邪なんかじゃないですょ。 腹部に出血がみられるし、それにその震えからするとその周辺から毒素が出た敗血症の疑いが高い。 当病院では対処できないのですぐに手術してくれる大きな病院を探すから、頑張ってまっていてくれ。」


と言われてしまった私。


今まで経験していない手術という言葉に対する動揺と、(えっ、敗血症って結構ヤバい病気じゃなかった?)という焦りが重なり、気の小さい私はますます腹部の痛みが増したのでした。


それ30分経っても行き先が決まらず、強い痛みに苛まれ続ける私は(ああ、ニュースで良く聞くたらい回しで亡くなる人って、こういう気持ちなのかなァ。)という思いと、(バッカヤロウ、こんな死に方してたまるか!)という怒りが交錯していた記憶があります。


そしてその頃女房が病院に駆けつけたのですが、更に30分程してようやく、


「渡辺さん、僕の信頼する若い外科医がいる病院が受け入れてくれるそうだ。僕も同行するから、これからすぐに行こう。」


ということで、私と女房、それに外科医を乗せた救急車は都内某大学の救急救命センターに向かいます。


この時既にかなり症状が悪化していた私は、「渡辺さん、着いたゾ。」 という外科医の言葉と共に車外に出された際、脇にいた女房にVサインをしたことまでは覚えていますが、その後の記憶はプッツリと途絶えます。


実際到着直後の血圧は60-30と低く、手術を行うのは微妙な状態だったそうですが・・・前の患者さんの処置のため手術室が空くまでの1時間半の間、状況を細かく説明する担当医に、女房が


「とにかく後悔したくないので、すぐに切ってください。」


と一言・・・すると担当医は 「分かりました。 それではご主人をお預かりします。」 と返し、エレベーターに乗って手術室に向かったそうな。


この時の担当医を見て、女房は(あっ、この先生ならダンナを救ってくれる)と直感したといいます。 結果的に彼女のカンは当たったわけですが・・・。


それから出血を起こした大腸の一部と盲腸を切除 (実物を見せられた女房は、「あっ、ツチノコみたいだ」と思ったそうですが) するなどの処置を行い6時間の手術は終了・・・しかし出血が止まらず更に2回目の手術を3時間行ってやっと止血に成功。 終了したのは翌日正午頃だったそうです。


術後にに執刀医から言われたのですが、並みの体力の人間だったら結構危ない状況だったそうです。 強い身体に産んでくれた両親に感謝するしかありません。 


さてその後麻酔で延々と眠らされた私が目を覚ましたのは11月1日の夕方でしから、当然ブログの更新など出来るはずもなし。


しかし目が覚めてからしばらく後に病院に来てくれた女房と話しているうちにブログのことを思い出した私は、これ以上会社HPとリンクしているブログを更新しないと更なる誤解を招く恐れがあると判断。


実は急な仕事が入った時のことを考慮し半月先までストックをしていた下書き文章を、女房にやり方を教えて更新してもらうよう依頼したのでした。


ところが私が入院した救急救命病棟はパソコンはおろか携帯電話さえ使用厳禁という環境だったために、私は女房が更新してくれた自身のブログはおろか、いただいたコメントなど一切読めず、また当然のことながら皆様のブログにもお邪魔することは不可能だったのです。


入院が長引いた場合は最悪病院で原稿を手書きし、1回ナンボで女房に代理打ち込みを依頼しようかとまで考えたのですが、幸いにもそこまでする必要はありませんでした。


順調な回復をした私は昨夜無事退院することができ、こうして本日早朝より自らブログを書いているから。


・・・以上がこの14日間の経緯であります。


明日からは従来通り自らのブログを更新し、かつ皆様のブログにもお邪魔させていただく所存でございますので、上記経緯にご理解・ご納得いただけるようであれば、引き続き拙ブログをご愛顧いただければ幸いと存じます。ご迷惑をおかけします


またお返事をしていないコメントに関しましては、本ブログ更新後できるだけ早期にご返信をさせていただきますので、どうか今しばらくお待ちください。


(下の写真は、手術直前に患者の取り違えが起きぬよう女房が私の名前を書いた足の裏です。 字の汚さに当時の混乱ぶりが伺えるのですが・・・一方で11月早々に回復する私を見て安心し、記念にとコレを写メしたのも彼女自身。 それをブログに使う私共々、全くどういう神経してるんだか。


          ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草-足

さて、不明だった出血原因を調べるためだったのか退院直前まで救急救命センター内に入院させられた私は、約1週間実に様々な体験をしました。

(その出血原因は退院前日に判明し、主治医から説明を受けました。 詳細は割愛させていただきますが、非常に珍しいケースで私自身も目がテンになりましたけれど、幸い再発等の危険性は極めてゼロに近いということですので、どうかご安心ください。)

一般病棟とは違い、救急救命センターはまるで野戦病院の如し。

(私もそうであったように) 日夜を問わずサイレンを鳴らしてやってくる救急車。

そして深夜に 「23歳女性、心肺停止。(到着まであと)5分。」 などという館内放送が聞こえてくると、ドキドキして眠れなくなります。

前述の通り、携帯すら使えない病棟ですることといえば、ただひたすら考えることだけ。

そんな中、私は何故今回命を長らえたのかを考え続けました。

そしてある時、ふと思ったんです。

今回の私は運が良かったのは確か・・・しかし自分が生き延びたのではなく、何か見えない力で生かされたのではないかと。

〝お前はまだ何も社会対して貢献をしていない。 それをするために生きよ〟

・・・そう言われた気がするのです。

論語でいうところの 『死生命ず』 というものに近いでしょうか?

そう考えてみれば、孔子のいう 『五十にして天命を知る』 という言葉に対して、私は53歳にもなって自らの天命など全く分かっていません。

社会貢献と天命・・・その中には仕事やブログ更新も含まれているのでしょうが、それ以外に何が出来るのか?

冒頭に「失われた~」と書きましたが、今回失った時間と臓器を取り返して余りある生き方をしたい・・・今回の病気を期に、自分自身を深めていきたいとつくづく思っている次第。

こんな私でよろしければ、これからもお付き合いの程よろしくお願い申し上げます。

(※なお本文中にある医学用語や容態等は、医学に関して全く素人の私が後日医師から聞き取った記憶を呼び起こすなどして書いたものですので、専門家からみれば疑義がある可能性があるかもしれません。 しかし私が手術を受け臓器摘出をしたこと自体は事実ですので、ブログ本筋から外れた専門知識に関するツッコミはご遠慮ください。)

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こちらの記事はhttps://ameblo.jp/warmheart2003/entry-11073781778.html?frm=themeより引用させて頂いております。