いぶし銀

先日37年ぶりにセ・リーグ3連覇を果たした原・巨人の快挙を見届けた直後、かつて巨人の黄金時代を支えた名二塁手・土井正三が、67歳で逝去されました

2年前の巨人軍5,000勝記念セレモニーに、車椅子で姿を表した土井氏の痩せた姿にはショックを受けましたが・・・長嶋氏が脳梗塞で倒れ、王氏が胃がんで手術を受ける中、遂に〝V9戦士〟の一人がこの世から去ったという事実は、子供の頃白黒テレビにかじりついて応援していた 「ちびっこジャイアンツファン」 だった私に、年月の経過を残酷なまでに知らしめました。

1942年に兵庫県で生まれた土井氏は、育英高等学校-立教大学を経て、ドラフト制導入前の1965年に巨人に入団・・・まさにその年がV9の始まり。

2番打者として、出塁したトップバッター・柴田選手を確実に送ってONにつなぐ役割を確実にこなし、ショート・黒江氏と組んだ二遊間は鉄壁の守備・・・脇役として、小兵ながら実に玄人受けする活躍をされました。

ONばかりに注目していた少年時代の私には、土井氏のプレーに関する記憶は殆どありませんが、ただひとつ強烈に覚えているのは、日本シリーズでの 「本塁クロスプレー」 です。

1969年、阪急との日本シリーズ第4戦。 

三塁ランナーだった土井氏が、ダブルスチールで本塁に突入・・・一見岡村捕手が完璧にブロックしたかに見えたものの、岡田主審の判定はセーフ。

猛然と抗議した岡村捕手は(現時点で)日本シリーズ史上唯一の退場宣告を受け、大荒れの試合を結局巨人の逆転勝ちへと導いたキープレーでした。

当時のビデオを見ても、カメラレンズが流れたこともあって見た目にはアウト・・・試合後マスメディアはこぞってアンパイアの誤審と阪急への同情をはやし立てましたが、翌日土井選手の足がホームベースを踏んでいる瞬間の写真が新聞に掲載されると、球審の評価が一転したのです。

             ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草-土井正三

後日のインタビューで、土井氏はこう話していました。

「このまま突入したら、ブロックされて足を骨折してしまう・・・そう思った瞬間、セカンドからの送球がハーフバウンドしたためにキャッチャーの腰がフッと浮いたんです。

その瞬間にできた股間の僅かな隙間にバッと足を突っ込み、同時に自分から受身を取る形で体を回転させました。

私は今だにスパイクで踏んだホームベースのゴムの感触を覚えていますョ。」

う~ん、まさにプロの技と感性を彷彿とさせます。

それともうひとつ・・・土井氏を語る上で必ず出る話題が、「イチロー」との関係ですネ

土井氏がオリックスの監督に就任した翌1992年に入団したイチロー。 

しかしそれから2年間、土井氏はイチローをレギュラーとして使うことはなく、2軍にも落としました。

その後のイチローの活躍を見て 「彼の才能を見出せなかった」 と、土井氏の監督としての力量を疑問視・批判する向きが今でもあると聞きます。

しかし私はこう思うのです。

イチローは高卒・ドラフト4位で、殆ど注目されることのないままに入団。

当時のオリックスは〝ブルーサンダー打線〟といわれ、石嶺・藤井・タイゲイニー・高橋・本西・山森など外野打撃陣の選手層が厚かったことを考えれば、2軍での成績は抜群だったとはいえ、1軍では2年間で通算2割3分弱の打率だった彼をレギュラーに抜擢することは、誰が監督であってもまず出来得なかったでしょう。

土井氏の後任・抑木監督が彼を抜擢した英断は評価されて然るべきですが、ちょうどその年に石嶺選手がFAで離脱、他のレギュラー選手のスランプも重なって外野ポジションに空きができたことも事実。

イチローのずば抜けた才能と強運を評価することに異論はないにせよ、この件で土井氏を(結果論で)批判するのは、余りに酷ではないでしょうか。

今晩お通夜を迎える〝いぶし銀〟土井正三氏のご冥福を、心よりお祈り致します。笑3



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こちらの記事はhttps://ameblo.jp/warmheart2003/entry-10350657943.html?frm=themeより引用させて頂いております。