アーウー

「アー、ウー」・・・これだけで誰のことか判かるのは、やはり中年以上の年配の方が殆どでしょうネ。

 大平 正芳 氏 

今日は第68・69代内閣総理大臣を務めた、この人物の命日にあたります。

1910(明治43)年、香川県三豊郡(現・観音寺市)の農家の三男として生まれた大平氏・・・子供の頃は目立たない存在だったそうで、後に総理大臣になった時は、同級生たちが驚いたとか。驚き顔

海軍兵学校を身体検査で不合格となり、高松高等商業学校に入学。 その後東京商科大学(現・一橋大学)に進学した大平氏は高等試験に合格し、1936年に大蔵省に入省します。

順調に出世した大平氏は、池田勇人大蔵大臣の秘書官を務めたことが縁となり、1952年に大蔵省を退官して自民党公認で衆議院選挙に立候補し当選。 以後連続11回の当選を重ねました。

1960年に池田内閣の官房長官を務め、以降通産・外務・大蔵大臣を歴任した大平氏は宏池会会長に就任し、着々と力をつけていきます。 


そして1978年、自民党総裁選に立候補し福田赳夫氏と激突。 

盟友・田中角栄氏のバックアップを受け、福田氏圧倒的有利の下馬評を覆して当選。 遂に念願の総理のイスを手に入れました。


            ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草-大平正芳

イラン革命と第二次石油ショックの打撃、そしてソ連のアフガン侵攻など国際社会が不安定な時期に首相に就任することとなり、加えて 「四十日抗争」 といわれた自民党内の分裂騒動に巻き込まれた大平氏。

第二次内閣組閣後に内閣不信任案を可決され、やむなく衆議院を解散。 

そして衆参同時となった選挙運動中に倒れ入院、一旦は回復したものの・・・ニトログリセリンを服用していた彼の心臓は遂に限界に達し、1980年6月12日早朝、心不全により急逝されました。 

70歳での壮絶なる〝戦死〟だったと言えましょう。

大平氏の死により弔い合戦となった選挙は、一枚岩となった自民党の大勝。

まさに総理の一命をもって分裂の危機を救った形となったのです。

大平氏の発言は、必ず「あー、うー」が答弁の合間に入るのが通例で、「アーウー宰相」とか 「讃岐の鈍牛」 などと揶揄されもしました。

しかし盟友・田中角栄氏は

「彼は、私以上に決断と実行の人である。 アーウー宰相なんて言われているが、彼の発言を議事録で見直してみろ。 アーウーを取れば全く無駄のない完璧な答弁だ。」

と、大平氏の能力を高く評価していたとか。

一高・東大卒でなくとも、その実力を評価して引き上げた池田氏の眼力もさすがであり、その期待に応えた大平氏もまた相当の実力者であったわけです。

最近は総じて言葉が軽い政治家ばかり・・・あらためて大平氏の答弁を見習って欲しいものですネ。

あっ、アーウーは真似しなくていいですけど。 うー

あらためて、志半ばで倒れた大平氏のご冥福をお祈り致します。笑3


        

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