
ジュニア
11年前の今日・7月16日・・・アメリカ・ロングアイランド沖で、1機の小型ジェットが行方不明となりました。 操縦していた男性の名は、
ジョン・フィッツジェラルド・ケネディ・ジュニア
(John Fitzgerald Kennedy Jr. )
名前でお分かりの通り、第35代アメリカ大統領のJ・F・ケネディ氏の長男が、遭難・墜落死したのです。
ケネディ氏が大統領に就任する直前、ジャクリーン夫人の間に長男として生まれたジュニア・・・奇しくも彼の3歳の誕生日には暗殺された父親の葬儀が営まれ、敬礼をするジュニアの健気な姿は世界中の人々の涙を誘いました。
その後ジャクリーン夫人と共にニューヨークに移り住んだジュニアはブラウン大学を卒業後、法律学の学位を取得。
1995年に雑誌 『GEORGE』 を創刊すると同時に編集長を務め、翌年に結婚。
そして1999年7月16日・・・伯父であったロバート・ケネディ元司法長官の末娘の結婚式に出席すべく、自家用ジェット機を操縦してケネディ家の別荘に向かう途中に消息を絶ち、その4日後に同乗していた妻と義姉と共に遺体で発見されたのです。
彼の死去は、アメリカ国民にとって相当ショッキングだったようです。
なぜなら、建国して200年余りと歴史が浅く王政のないアメリカにとって、ケネディ家はそれに変わる名門家という位置づけであり、多くの国民にとってジュニアはまさに〝プリンス〟的存在だったから・・・。
実業家であり政治家でもあった祖父のジョセフ・P・ケネディ・シニアは、自ら為し得なかった大統領就任の夢を息子たちに託し、実際ジョン・F・ケネディはその地位に登り詰めました。
しかしシニアの長男・ジョセフは第二次大戦で戦死、ジョン、ロバートは暗殺され、末弟・エドワードはチャパキディック事件で失脚、さらに妹キャスリーンも飛行機事故死・・・他にも麻薬中毒死した親族もいるなど、〝呪われた一族〟ともいわれているケネディ家。
そして折り紙つきの血統とハンサムな風貌を持ち合わせたジュニア・・・本人は言明していなかったものの、2000年には政界進出の意向があった、という友人の証言もあります。
そんな折、普段は慎重な操縦で知られ、必ずインストラクターを同乗させていた彼が、なぜこの時だけ単独で操縦したのか?
そしてフライトレコーダーの一部紛失や、爆発したという証言をした目撃者の失踪etc・・・父親の暗殺同様に多くの謎を残しながらも、事故原因は 「操縦ミス (空間識失調) による墜落」 と結論付けられています。
本当に単なる事故なのか、それとも何者かの謀略なのか?
また彼の姉・キャロラインは、ジュニアの死後上院議員立候補を画策したものの 「プライベートな理由」 でそれを断念したそうですが、これも何かに怯えたから?
彼亡き後、果たして残されたケネディ一族の中からアメリカ国民が嘱望するような大統領候補が登場するや否や?・・神のみぞ知るところです。
こちらの記事はhttps://ameblo.jp/warmheart2003/entry-10537873094.html?frm=themeより引用させて頂いております。

