スローカーブを、もう一球


表題だけで今日の主人公がピンッと来た方は、間違いなくスポーツファンでしょうネ。


現在では、マスメディアにおいて1つの(職業)分野として定着している、〝スポーツライター〟。

その先駆者といっていいのが、今日・5月29日に命日を迎えた

 山際 淳司 


でありましょう。


山際 (本名:犬塚 進)氏は戦後間もない1948年、神奈川県逗子市生まれ。


中央大学法学部在学中から 「山際淳司」 のペンネームで雑誌にルポを発表し、また週刊誌に本名で人物ルポを掲載、独特の視点と詳細な描写で評価を得ていました。


山際氏は取材対象者に直接会って徹底的に話を聞き、その上で客観的かつ冷静な目で文章を構成することが特徴といわれました。


それが端的に顕われたのが、私が彼の作品に初めて触れることにもなった、〝Sports Graphic Number〟創刊号に掲載された 『江夏の21球』

             ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草-山際淳司

1980年に創刊されたこの雑誌は、おそらく本格的に定期刊行された日本初の総合スポーツ専門誌でした。

その前年・1979年に行われた日本シリーズ・広島 vs 近鉄の第7戦。

広島の守護神・江夏豊投手が9回ウラに迎えた絶体絶命のピンチを切り抜けたシーンはあまりに有名ですが、その時の全投球を関わった選手の証言や事実を克明に追ったルポは、当時大学で現役のピッチャーだった私に野球の奥深さと醍醐味を存分に味あわせてくれました。


(ただ、個人的に江夏投手がスクイズを外した一球・・・あれはピッチドアウトではなく、たまたまカーブがすっぽ抜けただけだと今でも思っていますが。)


このルポで山際氏の存在を知ることとなった私は、その後も氏の著作は殆ど手に取りました。


また山際氏本人も、このルポも掲載した表題の著書・ 『スローカーブを、もう一球』 で日本ノンフィクション賞を受賞し一躍有名に。


そしてNHKがこのルポを元にドキュメンタリー番組を制作・・・それが縁となったのか、同局の〝サンデースポーツ〟のメインキャスターを務めるまでになりました。

              ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草-山際 淳司

ところが1年程経ったところで、突然の降板。


あれっ? と思ったら、その約2ヶ月後・・・既に病魔に侵されていたという山際氏の訃報をテレビで知った時の衝撃は、今でもよく憶えています。


1995年5月29日、46歳の若すぎる旅立ちでした。


トップ・アスリートだけでなく、無名の選手にも焦点を当てた地道かつ広範囲な取材姿勢と文章は、その後のスポーツジャーナリズムに大きな影響を及ぼしたことは間違いないでしょう。


(元?)スポーツマンの1人として、先駆者・山際淳司氏のご冥福を心よりお祈り致します。笑3


             

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こちらの記事はhttps://ameblo.jp/warmheart2003/entry-10812655963.html?frm=themeより引用させて頂いております。