ネ コ

今日は、かつて世界最強だった時代の全日本男子バレーボールを支えた、名選手の命日にあたります。

バレーボール・ファンなら、殆どの方がご存じであろうその人の名は、

 猫田 勝敏 氏

東京五輪で銅、メキシコで銀、そしてミュンヘンでは奇跡の金メダル・・・全てのメダルを日本にもたらした〝影の主役〟。


世界一のセッターとしてその名を馳せた猫田氏は、1944年に広島で生まれました。

小学校からバレーを始めた猫田少年は名門・崇徳高校に進学し、全国大会を制覇。 卒業後は社会人・専売広島 (現・JTサンダース) に入部します。

その頃、「世界を制するには、世界一のセッター育成が絶対条件」 と考えていた松平康隆・全日本監督の目にとまった猫田選手は、若干20歳で全日本メンバーとして東京五輪に出場。


以来1980年に現役を引退するまで、〝全日本の司令塔〟として活躍。

どんなピンチに立たされても冷静沈着、顔色一つ変えない猫田選手・・・大男たちの中に埋もれてしまいそうな、身長僅か179cmの小柄な身体にもかかわらず、コートの中では一番頼りになる存在に見えたものです。

スパイカーの最も打ちやすいボールを、どんな態勢からでも上げられたという彼の天才的なトスワークがあったからこそ、A~Dクイックや時間差攻撃などの変幻自在のアタックがミュンヘン五輪で花開いたのでしょうネ。

          ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草

そんなチームの柱だった猫田選手の試合中に発する口癖は、意外(?)にも

「すまん」、「頼む」、「ありがとう」

だったとか・・・。 

〝ネコ〟という愛称で、皆に好かれた人柄が偲ばれます。

松平監督をして〝100年に1人の選手〟と言わしめた猫田選手・・・現役引退後も監督としてバレーボールに深く関わり、指導者として大きな期待を担った彼を、胃ガンが襲います。

再びコートに戻れることを信じて、手首より先には絶対に点滴の針を打たせなかったという猫田氏の願いは叶わず・・・1983年9月4日に体調が急変、39年の短い人生に幕を閉じました。

サインを出すかのように人差し指を立て、「あと一本」 と呟きながら・・・。泣き1

結婚後も練習・合宿・試合で殆ど家に帰ることができなかった猫田氏が、枕元で見守る家族にかけた最期の言葉は、


「母ちゃん、すまん。」 


だったそうです。

全日本の戦友である〝世界の大砲〟・大古誠司氏が

「全日本が負けるとマスコミはセッターの責任だと叩いたが、チームメートは知っている。 負けたのは全部アタッカーのミスで、勝った試合は全部猫田のトスのおかげだ。」

アタッカーにこう言わしめる天才セッターが再び日本バレー界に出現することを願いつつ、猫田氏のご冥福をお祈り致します。笑3



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こちらの記事はhttps://ameblo.jp/warmheart2003/entry-10299663440.html?frm=themeより引用させて頂いております。