プロデューサー

今日は、私が同県人の先輩として尊敬していた方の命日にあたります。 

その方の名は、

 萩元 晴彦 氏

一時代前のテレビ界でこの人あり、と言われた名プロデューサーでした。

1930年に長野県飯田市で生まれた萩元氏は、早稲田大学文学部卒業後ラジオ東京(現TBS)に入社。 その翌年には早くも民法祭賞を獲得するなど数々の作品を制作して頭角を現します。

そして1970年、社内の人事異動をキッカケとしてTBSの仲間15人で退社し、日本初となる独立系TV番組制作会社 『テレビマンユニオン』 を立ち上げ、初代社長に就任。

社名にユニオン(組合)とつけたのは、設立メンバーの退職金が資本金となったからだそうです。(現在でも同社は合議制を取り入れるなど、フリー制作者の集合体という体制を維持しているとか。)


同社が制作した番組には、旅番組の先駆けとなった 『遠くへ行きたい』 や、教育番組 『課外授業・ようこそ先輩』、『世界ふしぎ発見』 など多数ありますが、私にとって何と言っても思い出深いのは、

『オーケストラがやってきた』

             ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草-萩元 晴彦

1972年から約10年間続いたこの番組は、クラシック音楽好きだった私にとって大のお気に入り・・・毎週欠かさず見てました。

山本直純氏の軽妙な司会で、とかく堅苦しく取っ付きにくいクラシック音楽のイメージを親しみやすく変えることに貢献したと思います。

私が萩元氏の名前を初めて知った番組でもありました。

その萩元氏が、日本のクラシック界に大きな貢献をしたことがもうひとつ・・・それは、今や押しも押されもせぬ世界的指揮者・小沢征爾氏をバックアップしたことです。

TBS時代からの親友であった小沢氏が、NHK交響楽団と対立して日本のクラシック音楽界から干されたのは1961年。

そんな小沢氏に萩元氏は日本武道館で第九を指揮する企画を持ちかけ、これが 「現代の主役・小澤征爾”第九”を揮る」 という名ドキュメンタリー番組になりました。

以降2人の蜜月時代は続くのですが・・・もし萩元氏という名プロジューサーの支援がなかったら、現在の小沢氏の名声は築けなかったかもしれません。

後に萩元氏の音楽葬が執り行われた際に新日本フィルの指揮を小沢氏が勤めたことでも、2人の厚い信頼関係が伺えます。

日本のテレビ界・クラシック音楽界の発展に貢献した萩元氏・・・長野で開催された冬季五輪の開・閉会式の総合プロデューサーを勤めた後、2001年9月4日脳梗塞により71年の人生に幕を閉じられました。

同郷の誇るべき先輩のご冥福を、あらためてお祈り致します。笑3



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こちらの記事はhttps://ameblo.jp/warmheart2003/entry-10541441639.html?frm=themeより引用させて頂いております。