マ マ

2010-03-16 07:07:07
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佐藤昭子さん逝く・・・この訃報が数日前に報道されました。

この女性の名をマスコミを通して目にしたのは、何年ぶりだったでしょうか?

名前だけですぐに誰のことか分かるのは、少なくとも40歳代以上の方だと思いますが・・・田中角栄氏の秘書として活躍し、彼の政治団体・越山会の 「金庫番」 といわれた方でした。

田中派に属し、後に総理のイスに座ることとなった橋本龍太郎氏や小渕敬三氏らに〝ママ〟と呼ばれ慕われた彼女は美人かつ頭脳明晰、まさに田中政治を陰で支えた姉御肌の女性。

そして民主党幹事長・小沢一郎氏を 「いっちゃん」 と呼んでかわいがったこと、またその小沢氏が彼女の病室を亡くなった当日もお忍びで訪れていたことからも、その影響力の大きさをうかがえます。

            ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草-佐藤昭子

佐藤女史は新潟県柏崎市の生まれ。


1946年の総選挙、当時17歳の佐藤女史が店番をしていた雑貨店に、立候補した27歳の角栄氏が選挙運動で訪れたのが初めての出会いだったとか。


彼女はこの選挙運動を手伝うことになったものの、田中氏はこの選挙で落選。


2人はしばらく疎遠になりましたが、結婚して東京に移り住んだ彼女が離婚したことを聞きつけた田中氏が声をかけ、佐藤女史を秘書に。


その後彼女は政治団体・越山会の統括責任者を務めるなどして、次第に田中事務所・政界での影響力を強めていきました。

そんな彼女の名が表舞台に出るようになったのは、1974年に 『淋しき越山会の女王』 (児玉隆也氏・著) が文藝春秋に掲載されてからだったでしょうか? (※それまでの名は佐藤昭、この記事が出た後に昭子と改名。)

しかし田中氏が脳梗塞で倒れた後、早坂秘書と共に娘の田中真紀子氏から事務所を解雇され、久しくその名を聞くことはなかったのですが・・・。

その佐藤さん自身が、田中氏が泉下に没した後の2000年に上梓した、

『決定版 私の田中角栄日記』

訃報を聞きた日の晩、数年ぶりに書棚から出して読み返してみました。

            ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草-佐藤昭子

通常の評論家が書いた本とは違い、影で田中氏を支え続けた女性の目から見た政治の世界。 

さすがは田中氏が目をかけた女性・・・客観的な視点から綴られた文章からは、彼女の優しさと聡明さが伝わってきます。

佐藤女史の存在がなければ、もしかしたら田中氏が最高権力の地位に就くことはなかったかもしれません。

一方で元秘書・早坂茂三氏の回想によれば・・・田中氏が総裁選に打って出ようとする時期、世間の目を気にしてもう1人の秘書・麓氏とともに佐藤女史を政治の舞台から遠ざけるよう進言したことがあったとか。

進退伺いを出してまで迫った秘書2人に対し、角栄氏は 「君たちも知らない事情がいろいろあるんだ。 それはできない。」 と突っぱねたといいます。

彼女との間に娘が1人いる田中氏には出来ぬ相談だったのでしょうが、その〝情の深さ〟こそ現在の世襲政治家にはない一面だともいえましょう。

稀代の大政治家と、彼が信頼を寄せる女性が、周囲の思惑に屈せずお互いを守りあう・・・現在なら格好のマスコミネタになる関係も、なぜか微笑ましいというか人間味ある男女関係に思えるのは、私だけでしょうか?

田中政治・・・いや、昭和日本の政治裏面史を知る〝生き証人〟がまた一人、81歳で世を去りました。

今頃は天国で、角栄氏と18年ぶりの再会を果たしていることを願いつつ、ご冥福をお祈り致します。



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こちらの記事はhttps://ameblo.jp/warmheart2003/entry-10480263612.html?frm=themeより引用させて頂いております。