メシア

2011-02-28 07:07:07
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今でこそ我々日本国民は思想・宗教の自由を憲法で保障されていますが、今から400年程前はそうではありませんでした。

キリスト教信者(キリシタン)になるのは、まさに命がけ。

そのような時代にあって、象徴的な人物といえるのが、

 天草四郎時貞 (本名 : 益田四郎時貞)

今日2月28日は、『島原の乱』 に散った彼の命日にあたります。


彼は、キリシタン大名であった小西行長の遺臣・益田甚兵衛の子として1621(元和7)年、天草諸島(※現在の熊本県上天草市) に生まれたと伝えられていますが、詳しいことは分かっていません。

しかし生まれながらにして聡明かつ容姿端麗、幼少期からカリスマ性があったとのこと。

              ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草-天草四郎時貞

一方、キリシタン大名・有馬晴信が統治していた島原藩ではキリスト教信仰が盛んでしたが、彼の後任となった松倉重政・勝家親子は厳しくキリシタンを弾圧。

過酷な年貢の取立てなど圧政に苦しんできた島原藩の領民たちは一揆を計画・・・首謀者たちが総大将として祭り上げたのが、当時キリシタンの間で人気者であった天草四郎でした。


1637(寛永14)年10月25日、島原のキリシタン達が代官を殺害し 『島原の乱』 (※キリシタンが多数参加したため、宗教戦争のように思われがちですが、実際には農民一揆に近い領民の反乱) が勃発。


これに呼応する形で周辺各地でも一揆が起こり、藩の兵力では対抗できない程の勢力だったとか。


これを鎮圧すべく幕府が軍を派遣、それを知った反乱軍・37,000名はかつての有馬家居城址に篭城します。


抵抗を続けたものの、総勢12万を超える討伐軍の圧倒的な兵力の前に武器・食糧が尽き、翌年2月27日から始まった総攻撃により落城。


天草四郎は城中で自害した、と伝えられます。


武士でもない10代後半の少年が実際に反戦軍を指揮したとは思えませんが、少なくともキリシタン達にとって彼は救世主(メシア)に見えたことでしょう。


(美輪明宏さんが「私は天草四郎の彼の生まれ変わりョ。」 とおっしゃっていますが、信じるか否かは皆さん次第。)

それはともかくも、非業の死を遂げた少年の冥福をお祈り致します。笑3


※余談ですが・・・島原の乱の後、キリスト教徒らを強制的に改宗させるために、幕府が全国各地の寺院を 「菩提寺」 とし、周辺住民を仏教の 「壇信徒」 となることを強制、彼らが旅行や転居で移動する際には証文を出させるなどと定めたのが、1664(寛文4)年に発令され現代に至るまで続いている 『寺請(檀家)制度』 なのです。


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こちらの記事はhttps://ameblo.jp/warmheart2003/entry-10730337012.html?frm=themeより引用させて頂いております。