モーレツ官僚

2008-12-19 09:35:25
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中国産のタケノコでも、国内で包装すれば『国産』と表示して良いものと思っていた。」


あれだけ食品偽装が告発されてきた中で、まだこんなアホなことを記者会見で発言する社長がいるんですねェ。うー


こういう御仁はお白州に引っ張り出して、この方のお裁きを受けてもらいたいものです。


江戸時代の名奉行といわれた、北町奉行・〝遠山の金さん〟こと遠山金四郎や、南町奉行・大岡越前守忠相に。

実は今日・12月19日は、その大岡忠相の命日なのです。


忠相は旗本・大岡忠高の四男として江戸屋敷に生まれ、10歳の時に同族である大岡忠真の養子となり、後に忠真の娘と結婚します。


5代将軍・綱吉の時代、20歳の時に従兄の起こした事件に連座し閉門処分を受けるも翌年に禁を解かれ、養父・忠真死去により24歳で家督を継ぐことに。


幕府の官僚として着実に出世をして行く忠相ですが、その後の彼の運命を決めたのは、将軍・家宣時代・・・37歳の時に山田奉行(伊勢奉行)を命じられ、紀州に赴任したことでした。


当時紀州藩主だった後の八代将軍・吉宗は、紀州藩に遠慮して領地訴訟を同藩有利に裁いていた過去の奉行と違い、公平に判断を下した忠相を嫌うどころか大いに評価したそうで、将軍職に就任した後は終始彼を重用したのです。


まさに〝名君、良臣を見抜く〟の図ですネ。

              大岡越前

              <大岡越前歌舞伎浮世絵>

江戸に戻った忠相は、将軍職に就いた吉宗から程なく南町奉行に任じられ、ここで越前守を名乗ることとなります。

以後19年に渡り南町奉行を務めた忠相は、

◆ 町火消組合の創設

◆ 目安箱の設置

◆ 小石川養生所の創設

◆ サツマシモの栽培奨励

◆ 賭博の一掃・私娼の廃止

等々、庶民の生活安定のための諸改革を実行します。

TVドラマ等で登場する〝大岡裁き〟は、後年講談や写本により広まった『大岡政談』が元になっており、その殆どは創作と言われています。

が、こういった話が出来るほどに、忠相の仕事ぶりは江戸庶民に絶大な信頼と人気があった証拠といえるでしょう。

その後60歳で寺社奉行に昇進、72歳で一万石に加増され大名に。

町奉行から大名になったのは、江戸時代では忠相只一人という大出世、極めて異例のことだったそうです。 いかに吉宗の信頼が厚かったかが分かります。

享保の改革を推進した吉宗を支えた忠相の実態・・・それは名裁判官というよりも、優秀な経済官僚というべきものだったようです。

その3年後、1751(寛延5)年6月に吉宗が死去。 その葬儀を取り仕切った後、忠相も体調を崩し、吉宗を追うように同年12月19日にこの世を去りました。 享年75歳。

吉宗の重用があったとはいえ、忠相の仕事ぶりは凄まじく、毎晩深夜まで奉行所で残業をしていたという記録が残っており、それ故なのか、生涯にわたって痔に苦しめられたのだとか・・・。泣き1

今、霞が関で働く官僚の中から、痔になるくらい一生懸命国民のために仕事をして、将来『政談』が出来るくらいの大人物・・・果たして出るでしょうか?うー


こちらの記事はhttps://ameblo.jp/warmheart2003/entry-10167685182.html?frm=themeより引用させて頂いております。