
一枚の写真
そういえば昔、久米宏さんが司会を務めた 『ぴったし カン・カン』 というTV番組で、〝1枚の写真〟という名物(?)コーナーがありましたっけ。
ま、それはともかく・・・今まで膨大な量の写真が新聞・雑誌に掲載されてきましたが、その中で日本国民に最も衝撃を与えた1枚はどれ?
そう問われたら、私は66年前の今日・1945年9月29日の新聞全紙一面に掲載された、この写真を選びます。
おそらく皆さんもどこかでご覧になったことがあるであろうこの写真は、新聞に掲載された2日前に行われた昭和天皇とマッカーサー連合国最高司令長官の会見に先立ち撮影されたもの。
それまで日本国民にとって〝神〟であった天皇が、新聞紙上に写真で姿をお見せになったことはもちろん、陛下がモーニングの正装で直立されているのに対し戦勝国のトップが軍服姿でしかも両手を脇にあてているラフな姿勢は、あまりに対照的。
ところが翌日の新聞各紙は、会見の事実を報道したものの 「不敬にあたる」 として写真を掲載しませんでした。
これにGHQが激怒、掲載命令を下し翌29日の新聞一面を飾ることに。
日本が敗戦国になったことを、あらためて国民に知らしめる視覚効果を狙ったことは明らかでしょう。
そしてこの会見は、天皇の処遇を含めたその後の日本の国体に大きな影響を及ぼしたようです。
この1ヶ月前の8月30日に、マッカーサーが来日。
その3日後・9月2日に戦艦ミズーリの甲板で降伏文書に調印が行われると、GHQは本部を横浜から皇居脇に移転。
そして9月11日、事前通告なしに東条英機元首相ら37名を戦争犯罪人として逮捕・拘留しました。
時を同じくしてアメリカでは天皇を戦犯として裁く決議案が議会に提出され、連合国の中にも天皇に対して厳罰を要求する空気が存在する中、何としてもそれを避けたい日本側は緊張に包まれます。
そんな中で実現した、天皇陛下・マッカーサー2人(+通訳1人)だけの会見は、35分間に渡って行われました。
その中身については、両国とも公表せず。
また天皇陛下も、「マッカーサー司令官と、これはどこにも言わないと約束を交わしたことですから。 男子の一言の如きは、守らなければならない。」 と後日記者会見で述べられ、内容を明かされていません。
しかしマッカーサーは、後の回想記で次のように述べています。
『天皇は、「私は国民が戦争遂行するにあたって、政治・軍事両面で行ったすべての決定と行動に対する全責任を負うものとして、私自身を、あなたの代表する諸国の採決に委ねるため、お訪ねした」 とおっしゃった。
私はこの瞬間、私の前にいる天皇が日本の最上の紳士であることを感じ取ったのである。』
会見終了後、マッカーサーの天皇陛下に対する態度は一変。
予定になかったにもかかわらず、マッカーサーは自ら天皇陛下を玄関までお見送りして最大の敬意を表わしたといいます。
そしてこの2ヵ月後、アメリカ本国からの天皇の戦争責任に関する調査要請に対し、彼は 「戦争責任を追及できる証拠は一切ない」 と回答。
結果、翌年公布された日本国憲法・第一条には 「天皇は日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であって・・・」 と起草されるに至りました。
この一枚の写真には、30分余の歴史的会見が天皇制を含めた日本の将来をも決定付けた、深い意味合いが込められている・・・私にはそう思えるのです。
こちらの記事はhttps://ameblo.jp/warmheart2003/entry-10925760801.html?frm=themeより引用させて頂いております。

