中興の祖

2010-05-06 07:07:07
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3ヶ月前に三菱財閥の創業者・岩崎彌太郎を取り上げましたが、今日・5月6日は三井財閥中興の祖、

 三井 高利

の命日にあたります。

三井家のルーツは、関白太政大臣・藤原道長の六男・長家から数えて5代目(といわれる)・藤原右馬之助信生が近江に地方官として赴任、そこで武士となって 「三井」 姓を名乗ったことだとか。

そして徳川が天下を治めようとした頃、信生から数えて19代目に当たる父・三井則兵衛高俊が松坂で質屋や酒・味噌などを扱う商人となり、高利は1622(元和8)年に四男として生まれました。

江戸で商売を始めた長兄の店に丁稚として入り番頭にまでなったのですが、その商才を恐れた兄に放逐され、彼は28歳の時に松坂に戻って家業を継ぎます。

そして1673(延宝元)年、52歳の時に上京して江戸本町一丁目・・・現在の日本銀行新館の辺りに呉服店(後の越後屋)を開業。

当時の商慣習は大名・武家・商家を相手に訪問販売を行い、支払は6・12月の年2回の掛売り。 人件費や金利がかかるため商品単価が高く、資金繰りも大変でした。

そこで高利が考え出したのが、〝現銀(金)掛け値なし〟という画期的なビジネスモデル。

店頭に商品を並べ正札をつけて現金で取引きし、そのかわり一反売りではなく切り売りも始めたのですが、これが庶民に大人気。 第2号店も出すほどの大繁盛となりました。

             ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草-三井高利

しかし当然のことながら同業者は猛反発、様々な嫌がらせを受けたようです。

おまけに江戸の大火で2店とも焼失してしまった高利でしたが、それにメゲることなく1683(天和3)年に新しい店を江戸駿河町・・・すなわち現在の日本橋三越本店のすぐ近くに 「越後屋呉服店」 を開店。

隣に両替商を設け、ビラを配ったり雨が降ると越後屋のマーク入りの傘を無料で貸し出すなどの工夫を重ねてお客を増やし、見事に復活。

これが三越の原点となったわけですネ。

これに飽き足らず、高利は同時に京都にも出店。 8年後には大阪にも店を出して、幕府御用達になるまでに成功を収めました。

一代で財をなし十男五女(!)に恵まれた高利は、1694(元禄7)年5月6日に京都で73歳の生涯を終えましたが、7万両 (※現在の貨幣価値で200億円前後) という莫大な資産についても、しっかりと子孫への分配率を記した遺書を残していたそうな・・・いや、さすがです。

その遺書には、こんな言葉も残されていたとか。

 ◆ 倹約に努めよ

 ◆ 人材登用に最大の注意を払うこと

 ◆ 主人は全業務を知ること

 ◆ 一族の子供も奉公人として扱うこと

全て当たり前のように聞こえますが・・・これが中々出来ないんですょネ。

没後300年以上経った今、自らが興こした三越が伊勢丹と合併している現状を草葉の陰から見ている高利は、果たしてどんな心境なのでしょう?



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こちらの記事はhttps://ameblo.jp/warmheart2003/entry-10454570000.html?frm=themeより引用させて頂いております。