二足の草鞋

あらゆるスポーツにおいて、過去に選手としても監督としても活躍したアスリートは何人もいらっしゃいますが、更にサラリーマンとしても最高峰に立った人物・・・といえば、おそらくこの方が代表例でしょう。

 宿沢 広朗 

今日は、かつてメガバングの役員を務める傍ら、ラクビー日本代表を指揮して稀有の戦績を収めた、この名監督の命日・七回忌にあたります。


宿沢氏は1950年生まれ。

埼玉県立熊谷高校でラグビーをしていたものの、花園の全国大会には出場できませんでした。


東大に進学できるほど頭脳明晰でしたが、当時は東大紛争の真っ只中だったため早稲田に進学。 既に英語も堪能で、海外遠征の時には現地でスピーチが出来るほどだったとか。


一方のラグビーでも1年生からレギュラーポジションを獲得。

2・3年生の時には社会人を破って連続日本一を果たし、自身も2年生で日本代表入りという、まさに文武両道。


しかし就職は、なんとラグビー部のない住友銀行。


日本代表メンバーの入行、そして後に同行で頭取となり〝天皇〟と畏怖されることとなる磯田一郎専務が京大ラグビー部出身だったこともあって可愛がられ、彼のために急遽ラグビー部が創設されたといいます。


しかし結局彼は、入行3年目で現役を引退し、社業に専念・・・順調に出世を重ねます。


そしてロンドン支店に赴任した際は、現地で本場のラグビーを数多く観戦・・・これが後に大いに役立つことに。

              ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草-宿沢 広朗

帰国して資金為替部上席部長代理を務めていた1989年、経歴と頭脳を見込まれてラグビー協会から日本代表チームの監督就任を打診されます。


銀行からも背中を押されて承諾した宿沢氏の戦術は、それまでの歴代監督とはかなり毛色が違っていました。


まず代表メンバーの選考は、従来の日本国内でのトップ選手を集めるやり方ではなく、「対戦する外国人に強い」 ことを優先。


選出したメンバーにはタックルやスクラムのスペシャリストを揃え、一部の選手には10㎏の減量を課すなど個々に明確な役割を認識させ、かつ具体的な指示を出したとか。


そして2年後のワールドカップを見据えた当時の世界8強の一角・スコットランドとのテスト・マッチでは、試合前から 「絶対に勝つ」 と豪語。


代表メンバーでさえ当初は半信半疑だったものの、フタを開けてみれば28-24で日本ラグビー史上に燦然と輝く歴史的勝利。


宿沢マジックの真骨頂をファンに見せつけてくれました。


そして1991年のワールドカップでは、現在に至るまで日本代表チーム唯一の勝ち星を奪う快挙を達成。


代表監督退任後は、母校・早大の監督や協会専任理事を歴任するなどラグビー界に多大な貢献をされると同時に、銀行においても大出世・・・取締役専務執行役員にまで昇り詰めました。


二足の草鞋を見事履きこなし十分頭取も狙えるポジションに立った宿沢氏を、突然の病魔が襲ったのは2006年6月17日。

登山中に心筋梗塞に襲われ、そのまま帰らぬ人となってしまいました。


まだ55歳という若さ・・・日本代表とメガバンクを勝利に導くプレッシャーが、身体に負担をかけ続けていたのかもしれません。


葬儀の会葬者が政・財界、スポーツ界、そしてファンなど約4,000人にも上ったことが、いかに惜しまれた逸材であったかを証明しています。


あのスコットランド戦に勝った際、


「オールブラックスが相手だったら勝てるとは絶対に言わない。

なぜなら、勝てる確率はゼロだから。 0%を50%には引き上げられない。

しかしスコットランド相手なら30%の確率を50%にすれば良かったんだ。」


と語ったという、ラグビー界屈指の戦略家にして名バンカーのご冥福を、あらためてお祈り致します。笑3



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こちらの記事はhttps://ameblo.jp/warmheart2003/entry-11008852525.html?frm=themeより引用させて頂いております。