
光 速
・・・といっても、アインシュタインや物理学ではなく、将棋のお話です。
将棋ファンならば、今日の主役が誰かはもうお分かりのはず。 そう、
谷川 浩司 九段 (十七世・永世名人)
今から29年前の今日・1983年6月15日・・・彼が史上最年少で将棋名人位を獲得した、将棋界にとって記念すべき日なのです。
谷川氏は1962年の神戸生まれ。
兄とのケンカが絶えなかったため、それを止めさせようと父親が盤と駒を買い与えたのが将棋との出会いだったとか。
百科事典で駒の動かし方を調べたからどんどん将棋にのめり込んでいった谷川少年はメキメキと実力をつけ、小学校5年で奨励会5級入り。
そして中学2年生で4段となりプロ・デビュー。
神武以来の天才といわれた加藤一二三氏以来、2人目の中学生プロ棋士に。
中原時代の次を担うと目された谷川氏は期待通りの活躍を見せ、第41期名人戦で前出の加藤名人を破り、21歳で名人位を獲得したのです。
彼の棋風を最も端的に表しているのが、〝光速流〟。
終盤、アッという間に相手玉を寄せることからその異名がつけられました。
解説の一流棋士でさえ唖然とする妙手を谷川名人が連発していたのを、私もテレビ対局で何度か目撃しました。
これで谷川時代の到来?・・・と思われましたが、残念ながらそれは長くは続きませんでした。
彼の行く手を阻んだのは、現在将棋界を支えている羽生元七冠をはじめとした、いわゆる〝羽生世代〟の台頭。
思い起こせば、谷川氏が名人になる前年の1982年。
当時A級八段の新進気鋭の彼が解説をしていた第7回小学生将棋名人戦で優勝したのが、6年生の羽生少年でした。
今と同様、優勝しても顔色一つ変えずキョトンとした感じの羽生少年の姿を私も記憶していますが・・・「これから勉強していけばプロも夢じゃない」 とエールを送った谷川氏も、その時点ではよもや自らの行く手をこの少年に阻まれようとは想像もしなかったでしょうネ。
でも私は、谷川氏を尊敬しているんです。
最年少で名人位を獲得した時も、「1年間、名人位を預からせていただきます。」 と語った謙虚さと、どんな局面になっても表情を変えず淡々と勝負に臨む冷静さ。
すぐに顔色を変える短気な私には、とても到達することのできない境地を、彼は持っていますから。
そして最も印象的だったのは、1995年の王将戦。
第一局に勝利した直後の1月17日に阪神淡路大震災が起こり、神戸・六甲アイランドの自宅が全壊し、配給のおにぎり1個だけて過ごした日もありながら、その後も対局に臨んだ谷川氏は4勝3敗のフルセットで挑戦者の羽生六冠を撃破。
史上初の七冠獲得を阻止した勝負師としての意地は、立派の一言でした。
一時は史上4人目の四冠王(竜王・棋聖・王位・王将)を獲得した谷川氏も、残念ながら現在は無冠。
しかしこれまで大山・升田両巨頭に続く、A級在籍連続30期という大記録を更新中!
今年50歳になる谷川元名人の復活・奮闘を、そして羽生七冠との名勝負を、これからも大いに期待しています。
こちらの記事はhttps://ameblo.jp/warmheart2003/entry-11196464265.html?frm=themeより引用させて頂いております。

