地方の星

早いもので、今日は〝彼〟の一周忌。

1年前、急死を伝えるスポーツ紙一面は〝彼〟の名で埋め尽くされました。

その〝彼〟とは、

  オグリキャップ

第2次競馬ブームを巻き起こした、ハイセイコー以来・・・いやそれ以上とも言える国民的人気を誇った優駿でした。

1985年に生まれたオグリキャップは、生まれつき右前脚が大きく外側に向いており、なかなか自力で立ち上がることができなかったそうです。

競走馬としては決定的と藻いえるハンデを負っていましたが、牧場主の手厚い世話により、やがてそれは矯正されました。

旺盛な食欲で立派な体駆となり、馬主の小栗孝一氏と父・ダンシングキャップの名を取り 「オグリキップ」 の名で1987年5月に岐阜・笠松競馬場でデビュー。

生まれついてのハンデをものともしない精神力の強さと度胸、それに頭の良さも兼ね備えていたという彼は初戦こそ2位だったものの、以後11戦10勝の圧倒的な強さを見せつけます。


当初は笠松競馬場で活躍させようと思っていた馬主の小栗氏でしたが、周囲の中央競馬への移籍を進める声におされ、それを最も強く勧めた佐橋五十雄氏にオグリキャップを売却・・・晴れて中央競馬に活躍の場を移します。

読み方通りの 「オグリキップ」 で登録され、1988年3月のペガサス・ステークスでメジャー・デビューを果たすや、いきなり1着。

その後も6連勝を続けたオグリキャップは、血統もさほど良くない地方出身馬ということで多くの人々の支持を受けて人気は鰻上り。

マスメディアで盛んに取り上げられるようになり、普段競馬に関心のない女性にまでオグリ・ファンは広がっていきました。

             ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草-オグリキャップ

同年の天皇賞(秋)・ジャパンカップはそれぞれ2・3着だったものの、年末の有馬記念には見事1着・・・その人気は最高潮に達しました。

しかし関係者の証言を総合すると、その頃は既に全盛期を過ぎて体調は下り坂だったとのこと。

実際その後のレースでは精彩を欠き、1990年11月のジャパンカップでは11着の惨敗。 馬主に脅迫状が送りつけられるなど、半ば社会問題化の様相を呈する中、彼の引退が決定したのです。

しかしそのまま消えていかないのが、オグリキャップのオグリキャップたる所以。

引退レースと位置づけられた同年末の有馬記念では4番人気を跳ね返し、天才・武豊騎手を乗せて見事優勝!(上写真)

全く競馬をやらない私でさえTV中継を見ましたが、ゴールを駆け抜けた後 「オグリッ!、オグリッ!」 という観衆掛け声に、ゆったりとコースを一周して応えた彼の〝ラスト・ラン〟は、今でも鮮明に記憶している実に感動的なシーンでした。

引退後種牡馬となったオグリキャップでしたが、残念ながら優良馬を残すことは出来なかったとのこと。

悠々自適の老後を送っていましたが、2010年7月3日・・・ぬかるんだ地面に足を取られて転倒し右後足を複雑骨折、手の施しようがなく安楽死処置。

馬年齢で25歳・・・人間ならば80歳を優に超す高齢者でした。

多くの人々に夢と希望を与えてくれた 〝地方の星〟 のご冥福をお祈り致します。笑3

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こちらの記事はhttps://ameblo.jp/warmheart2003/entry-10855373476.html?frm=themeより引用させて頂いております。