
外 来
子供の頃、近所の池でザリガニを釣ったこと・・・皆さんはありませんか?
私は屋外写生で学校の外に出ると10分ちょっとで絵を描きなぐり、残った時間を利用して糸の先に給食に出たチーズの欠片をつけて垂らし、同級生らと競争したものです。
ハサミで糸を掴んだ赤いサリガニが池の底からス~ッと上がってくると、妙に興奮したものですが・・・今日・5月12日は、その 『ザリガニの日』 なのだそうです。
1927(昭和2)年5月12日に、初めて外来種のアメリカザリガニが日本に持ち込まれたことに因むとか。
面白いのは、その目的・・・このアメリカザリガニは餌として輸入されたのですが、何の動物のためだったと思いますか?
正解は・・・なんと、食用ガエル(ウシガエル)!
アメリカザリガニに先立つこと9年前、北アフリカ産の巨大なカエルが食用として輸入され、国が主導して各地で養殖され始めます。
(しかしこのウシガエル、私は今まで食べたことがないなァ。)
その餌としてニューオーリンズからアメリカザリガニを輸入したのが、「鎌倉食用蛙養殖場」 の経営者の弟・河野卯三郎氏。
当時は飛行機などは飛んでいなかったため船に100匹積み込んだそうですが、長旅で殆どが死んでしまい、無事日本上陸を果たしたのは僅か20匹。
しかしその中から逃げ出した個体が各地で爆発的に繁殖・・・30年後には九州でも発見されるまでに。
今では北海道を除く全国に分布し、逆に元来我が国に棲息していたニホンザリガニは殆ど見られなり、環境省から 「絶滅危惧種」 に指定されています。
(ちなみに、彼らを食べるはずだったウシガエルもこの養殖場から逃げ出し、これまた全国に分布したとのこと。)
いやはや、彼らの生殖能力・生命力・・・凄まじいですネ。
さて、今後お子さんとザリガニ釣りをする方々のために、ひとつアドバイスを。
アメリカザリガニは餌の種類に関わらず、動くものに反応して糸をすぐ挟むのだそうですが、引き上げて水面から出た瞬間、ハサミを離す習性があるんですって。
ですから、必ず水中で掬う網を持っていきましょう。
・・・嗚呼、私が子供の頃それを知っていたら、もっと獲れてたのに。
1918(大正7)年5月に東京帝国大学の渡瀬庄三郎
教授の手によって北アメリカ産巨大種の食用蛙
(Rana catesbeiana)が食用として輸入され、その後、1920(大正9)年頃から国の指導により各地で養殖されるようになったが、この食用のカエルの飼育には渡瀬の助手をしていた河野卯三郎たちが携わったようだが、これと軌を同じくして、卯三郎の長兄河野芳之肋が、神奈川県大船(鎌倉郡小坂村岩瀬)で民間初の“鎌倉食用蛙養殖場”((現、いわせ下関こども広場
)を開設したという。卯三郎もその後、兄の養蛙を手助けするようになり、鎌倉養殖場はアメリカのニューオリンズにある会社から種蛙を直接輸入し、国内はもちろんのこと、遠く北米にまでその名を知られるようになったという。その後、芳之助は商用を兼ねて、1927(昭和2)年に一度渡米をしているが、同年5月12日帰国。その時の様子を、弟の河野卯三郎が遺稿集で、以下のように述べているという。
“当時米国に居た私の愚兄(芳之助)が、日本に帰るとき生きたブルフロッグと、その餌であるアメリカザリガニ
を、ビヤダルに一杯持参し、大船の田園都市の近くに水田を改造して養蛙池を造り、蛙をザリガニと共に放養したところが、そのザリガニが野生になって大船一帯に繁殖したのが、アメリカザリガニが日本に渡来した始めである”・・・と。又、この池から逃げだしたザリガニが、1930(昭和5)年に岩瀬の小川で捕獲されたザリガニ”と符合するという。そして、このときの蛙とザリガニの輸入を最後として、昭和初年の経済恐慌
(1927年~1930年)のさなか、鎌倉養殖場は自然閉鎖されたとのことである(詳しくは同HPEssay Notes:食用蛙とアメリカザリガニ
こちらの記事はhttps://ameblo.jp/warmheart2003/entry-10788896069.html?frm=themeより引用させて頂いております。

