大正浪漫


1世紀近く前に活躍した古い画家ながら、現在でも彼の描いた作品は多くのファンの心を惹きつけてやみません。

今日・9月1日は、大正浪漫時代の美人画家として一世を風靡した

 竹久 夢二 氏

の命日にあたります。

竹久茂次郎(※本名)氏は、1884(明治17)年に造り酒屋の次男として現在の岡山県瀬戸内市に生まれました。

叔父の家に寄宿し、神戸の中学に通い出したものの家業が傾いたため帰郷。

その後父親が酒造業をやめて八幡製鉄所に就職したため、一家は福岡に転居・・・茂次郎自身も一時期製鉄所勤めをしたものの、17歳の時に家出し単身上京。

苦労して早稲田実業学校に入学し、在学中に読売新聞に投書した 「可愛いお友達」 が掲載され、また 『中学世界』 に応募したコマ絵が第一賞入選するなど早くも頭角を表わし、この時分から〝夢二〟の筆名を用いたといいます。

22歳で同校を中退すると 『少年文庫』 の装幀・口絵を担当し、翌年に結婚。

その後読売新聞に入社し時事スケッチを担当、2年後に 『夢二画集-春の巻』 発刊しベストセラーに。

その後多くの作品を残し、彼の描く女性画は〝夢二式美人〟と呼ばれる独特のタッチで人気を博しました。

彼自身は中央画壇への憧れを持っていたようですが、その経歴からか受け入れられず・・・むしろ在野にあって、多くの書籍の装幀・広告宣伝・日用雑貨のデザインを手がけたグラフィック・デザイナーの草分けだった、といえましょう。

          ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草-竹久 夢二

そして特筆すべきは、彼の女性遍歴。

唯一入籍して妻となった岸たまきさんとは結婚-離婚-同棲-別居-離縁、その間3人の子供をもうけるも、2度目の別居の間に女子美術学校の学生で夢二氏のファンであった笠井彦乃さんと同棲。

しかし彼女は、結核を患い24歳で他界。 

そして東京美術学校のモデルだったお葉さんと1924(大正13)年に完成したアトリエ〝少年山荘〟で同居したものの、翌年授かった子が夭折。

ショックを受けたお葉さんが翌年自殺を図り、しばらくして別離。

ドロドロというか、火宅の人というか・・・夢二氏は寂しがり屋で、常にそばに女性がいて欲しかったのでしょうか?うー

しかし皮肉なことに、国内外への旅行や個展の開催など積極的な創作活動を続けた夢二氏が、結核により1934(昭和9)年9月1日に49歳で 「ありがとう」 という言葉を残して他界した時、枕元に愛する女性はいませんでした。


彼が最初に美人画を描いた時は奥さんがモデルだったそうですが、その後彼が追い求めた女性像は良く似ているような気がします。

           ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草-竹久夢二

                <お葉さんと夢二氏>

男性って、付き合う女性が似たタイプになるそうですが、彼もその例外ではなかったようですネ。

21世紀でも女性の心を捉えて離さない、恋多き美人画家のご冥福をお祈り致します。笑3


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こちらの記事はhttps://ameblo.jp/warmheart2003/entry-10902341220.html?frm=themeより引用させて頂いております。