天下無双

2009-02-11 07:07:07
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我が故郷・信州からは、残念ながら現在あまり強いお相撲さんが出現しておりませんが、その昔は多くの方がその名を知る名力士を輩出しているんです。 その人の名は、

雷電爲右エ門

明和4(1767)年、信濃国小県郡(現・東御市)に生まれ、江戸時代に活躍した不世出の名大関。

横綱免許は受けなかったものの、富岡八幡宮の横綱力士碑に〝無類力士〟と顕彰されている、史上最強ともいわれている名力士です。 

身長約197cm、体重約170kg と言い伝えられている体格は、現在でいえばボブ・サップか把瑠都並み。驚き顔 デカッ

しかし当時の男性平均身長は160cmあるかないかだったでしょうから、きっと現代人がチェ・ホンマン選手を見上げるような感覚だったんでしょうネ。汗

23歳の時、本場所にいきなり「関脇付け出し」(!)でデビュー、以来44歳で引退するまでの通算成績が254勝10敗2分、勝率ナント96.2%!

不世出の名横綱といわれ、69連勝も記録した双葉山の通算勝率が80.2%、憎たらしいくらい強いと言われた昭和の名横綱・北の湖でさえ76.5%でしたから、その淒さがわかります。

しかもあまりの強さに、得意技の「鉄砲(つっぱり)」・「張り手」・「閂(かんぬき)」を禁じられた上で・・・といわれていますから、もう神様みたいな強さだったんでしょうね。


引退後は松江藩の相撲頭取を務めた後、文政8年2月11日(1825年3月30日)・・・58歳で妻の故郷下総国臼井(現・千葉県佐倉市)でその生涯を閉じました。


            ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草-雷電為右エ門


強さもさることながら、私が郷土の誇りとして彼を尊敬する理由がもうひとつ。

それは、彼が単に相撲が強かっただけではなかったことです。

子供の頃、地元の庄屋に読み書き算盤を習い、地元では秀才四人組の一人として数えられ、また「諸国相撲控帳(雷電日記)」「萬相撲控帳」を後世に残すなど、知性・教養を兼ね備えていた力士だったのです。

実力と教養を備えた雷電が、なぜ横綱になれなかったのか?・・・これには諸説ありますが、明確な理由は未だはっきりしていません。 でも、そこがまたミステリアスで魅力的ですょネ。

当時の好敵手・初代柏戸との対戦(※通算成績は雷電の5勝1敗2分け3預かり)は、庶民に 「何を質に入れても見物に行く」 とまで言わしめた名勝負だったそうです。

現在の大相撲にも、これからそんな名勝負・ライバル力士が現れて欲しいものですが・・・果たして?笑2


こちらの記事はhttps://ameblo.jp/warmheart2003/entry-10188913410.html?frm=themeより引用させて頂いております。