奔 放

とかく 「お坊さん」 というと、修行を重ねたちょっと近寄りがたい方・・・というイメージを持ちがちですが、おそらくこの方は最も子供たちに愛された僧侶だと言えましょう。

 良 寛 

いや、〝良寛さん〟とお呼びした方が自然かもしれませんネ。

今日は、この江戸時代後期に越後が生んだ禅僧の命日にあたります。

1758(宝暦8)年、四男三女の長男として名主・神職であった父の許、越後・出雲崎に生まれた良寛さんは、家を継ぐと思いきや18歳の時に突如隣町にある曹洞宗の寺に出家。


そしてその頃当地を訪れていた(現在の岡山県にあった)円通寺・国仙和尚に感銘を受け、以後20年間師事し彼について西日本を行脚しました。


40歳を過ぎて越後に戻った良寛さんは、寺泊など近隣を転々・・・1831(天保2)年1月6日、現・長岡市島崎の豪商・能登屋木村元右衛門邸内の庵にて72歳で没しました。


            ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草-良寛

                 <良寛さん自筆の自画像>

良菅さんは僧侶であると同時に、和歌・狂歌・俳句・書をたしなみましたが、そのいずれもが達人の域に達しながらも内容は平易であり、親しみやすいものでした。

自画像の筆遣いも、洒脱というか力が抜けているというか・・・味がありますょネ。


また生涯を通じて寺を持たず托鉢で生計を立て、誰とでも分け隔てなく接したといわれていますが、特に子供が大好きで常に懐に手毬を入れては毬つきやかくれんぼをして遊んだとか。

禅宗の僧でありながら酒(般若湯)をたしなみ、弟子であった貞心尼との恋愛(?)等々・・・おそらく当時としては相当に自由奔放なお坊さんだったはず。

そして極めつけは、良寛さんのお墓。

曹洞宗の僧侶なのに、真宗大谷派・隆泉寺の木村家墓地内にあるのです。

まさしく仏の教え・・・「こだわらない心」 そのもの、と言えるのかも。

辞世の句ともいわれる、

〝散る桜 残る桜も 散る桜〟

私も大好きなのですが・・・一見単純にしてその奥深さ・儚さに味わいを感じつつ、『聖僧』・良寛さんのご冥福を祈ります。笑3


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こちらの記事はhttps://ameblo.jp/warmheart2003/entry-10675683446.html?frm=themeより引用させて頂いております。