学生社長

2011-11-24 07:07:07
テーマ:

今でこそIT関連で起業して社長になる現役大学生は珍しくありませんが、そのハシリというべき現役東大生が世間の注目を集めたのは、終戦直後にまで遡ります。


その人物の名は、

 山崎 晃嗣

今日は、この元祖・学生社長の命日・・・彼が服毒自殺を遂げた日にあたります。


彼は1923年、医学博士でもあり木更津市長をも務めた父の五男として、同市に生まれました。


非常に頭脳明晰で、一高・東大というエリートコースを突き進みますが、太平洋戦争が彼の運命を大きく変えてしまいます。


学徒出陣で陸軍主計少尉に任官されますが、戦時中に部隊内で上官からのリンチで同級生を亡くしたり、また上官の命令により食料隠匿に加担したことで訴追され、自身も取調べで警察から暴行を受けたために、人生に対する虚無感・厭世観が深く心に根ざしたようです。


1946年2月に東大に復学するや、彼は全教科 「優」 獲得を目指し綿密な (というより病的な) スケジュール表を作成して猛勉強を始めますが、20教科中3教科が 「良」・・・ここでもショックを受けたといいます。

(私程度のレベルだったら、これで万々歳ですけどネ。)あせあせ

そして1948年9月・・・彼は自らの頭の良さを確認するため、2人の学生と共に東京・中野区に 『光クラブ』 という会社を設立し社長に就任、貸金業を始めます。

              ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草-山崎晃嗣

資本金全てを 「遊金利殖、月1割3分」 などと謳った新聞広告に突っ込みますが、これが大当たり。


この高利回り運用と、学生が立ち上げた珍しい名前の会社ということもあって注目度が高まり、出資者は後を断たず。

(日本マクドナルドの創始者・藤田田氏もその1人だったとか。)


その潤沢な資金を、彼は月2~3割というナニワ金融道・萬田銀次郎ばりの高利で個人事業者や中小企業に貸し付けて成功。


4ヶ月後には事務所を銀座に移転し、従業員30名を抱えるまでに急成長。

彼自身も愛人6人を囲うまでに。

しかしこんな暴利をお上が見逃すはずもなく、税務官と付き合っていた同社秘書の通報により1949年7月に物価統制令・銀行法違反により逮捕。

2ヵ月後に釈放されたものの、債権者達が次々に手を引いたことで資金繰りに行き詰まり、約3,000万円の決済を翌日に控えた11月24日深夜、最期の一文が


「貸借法すべて清算カリ自殺。晃嗣。午後11時48分55秒呑む、午後11時四49分・・・(以下判読不能)」


という、いかにもスケジュール魔だった彼らしい遺書を残し、青酸カリを飲み自殺して果てたのです。


以前華々しく世間に登場しながら結局は逮捕されたホリエモンと比較する論評が出ましたが、彼らはお互いをどう見るのか、興味あるところではあります。


もし彼が平成の世に生まれ、戦争中の人間不信に陥る事件に遭遇しなかったら・・・皆さんは彼がどんな人生歩むと予想しますか?

              ペタしてね

こちらの記事はhttps://ameblo.jp/warmheart2003/entry-10988922792.html?frm=themeより引用させて頂いております。