定期戦

11月23日は祝日・『勤労感謝の日』。

・・・ですが、私を含めた慶應OBにとっては、


〝慶早ラグビー〟


が行われる決戦日でもあります。

あまり知られていませんが、実は慶應義塾大学蹴球部 (※ラグビー部とは言いません。) は日本最古のラグビー部なのです。

英語教師として来塾したE・B・クラーク氏が、ケンブリッジ大学時代の学友であった田中銀之助氏の協力を得て、塾生にラグビーを教えたことを端緒として1899年に蹴球部を創設。

そしてその後に創部した早稲田大学が慶應に対戦を申込み、1922(大正11)年11月23日に三田慶應グラウンドにて行われたのが最初だとか。

野球の慶早戦はリーグ最終週に行われるのが恒例ですが、ラグビーは毎年11月23日と決まっています。


これは両校OBが過去のデータを調べて、最も晴天確率が高かったのがこの日だったためだとか。

今日の東京は午前中雨が残るものの、試合開始時刻までには上がる模様。

さすがは〝伝統のなせる業〟と申せましょうか。

ちなみに慶應フィフティーンが着用するジャージは黄色と黒の横縞。 

慶應カラーは青・赤・青なのに、なぜ黄色?・・・と思うのですが、これは創部以来変わっていないんだとか。

          ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草-ラグビー

慶早ラグビーで私が最も印象に残っているのは、1984年のゲーム。

後半も30分過ぎ。 6-11でリードされていた慶應は、早稲田陣10mライン付近でボールを奪うと、WTB若林俊康選手にパス。

若林選手はそのままライン際を疾走し2,3人早稲田のタックルをかわすと、最後はインに切れ込むと見せかけて、スペースの狭いアウトにラインを取るという常識外れ(?)のステップを切り、早稲田のフルバックを振り切ってトライ!

キックも決まって12-11の鮮やかな逆転勝ち。

マラドーナの5人抜きを彷彿とさせる若林選手の走りは、当時見ていて毛穴が開くほど感動しましたし、未だにそのシーンははっきりと覚えています。

日本代表にも選ばれた慶応屈指の名バックスだった若林選手でしたが、卒業後社会人リーグ戦での試合中に脊椎損傷の大怪我を負い、半身不随になったことを知る人は少ないと思います。

幸いリハビリで日常生活に支障がないまでに回復したそうですが、元気に日々を過ごしてくれていることを願うばかりです。

慶早ラグビーの通算成績・・・残念ながら慶應は19勝61敗6引き分けと圧倒されています。

昨年は20-20の引き分け。


そして今年は特に、先の六大学野球の優勝決定戦で負けた神宮球場の敵(かたき)を、是非お隣の秩父宮で晴らしてもらいもの。

 扇子

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こちらの記事はhttps://ameblo.jp/warmheart2003/entry-10632160207.html?frm=themeより引用させて頂いております。