実務派


今日・6月28日は、嘗て第78代内閣総理大臣を務められた宮澤喜一氏の三回忌に当たります。


1919(大正8)年、東京生まれ(※本籍は広島県福山市)の宮澤氏は、東京帝国大学法学部卒業後、大蔵省入省。 

その後池田勇人蔵相秘書官となり、1951(昭和26)年にはサンフランシスコ講和会議に全権随員として参加するなど、官僚として出世街道を驀進します。


しかし1952(昭和27)年に池田氏の大臣辞任に殉じて大蔵省を退官。 

翌年の参議院選挙に広島選挙区から出馬して当選し、政界入りを果たします。。


池田氏の信頼を得て早くから経企庁長官に抜擢され、また衆議院に鞍替えした後も通産相・外相など要職を歴任、池田派・宏池会会長に就任するなどニューリーダーの一人として頭角を現しました。


リクルート事件に絡んで一旦大臣を辞職したものの、1991(平成3)年の総裁選挙で勝利し、念願の総理大臣に就任。


しかし、TVインタビューでの自らの発言が引き金となって自民党が分裂。 

内閣不信任案を成立させられた挙句に解散総選挙で敗北を喫し、野党に転落する苦汁を味わいます。


1998年に再び自民党が政権を奪回すると、総理経験者としては異例の大蔵大臣再登板、「平成の高橋是清」などといわれました。


2003(平成15)年の総選挙の際、小泉総理から定年制による引退を要請され受諾。 引退後もマスコミに登場し続けましたが、2007年6月28日、老衰にて87歳の生涯に幕を閉じられたのです。

              ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草-宮澤喜一

田中角栄氏が宮澤氏を 「当代一等の秘書官である」 と評したように、実務能力がピカイチであったことは疑いのないところ。

しかし、やはり田中氏の言う 「権力の座を掴み取るためには、少しでも敵を減らす努力が必要」 と示唆した点に関しては、有名な酒乱癖と、(かつて早大卒の竹下氏に「当時の早大商学部は無試験で入れたのでは?」と言って激怒させるなど)学歴絡みで相手を傷つける発言等が災いして敵を多く作ったことが、政界での活躍を阻害したことは否めません。

しかし一方では 「寝言を英語で口走る」 といわれた程だった政界№1の語学力は、留学をしたわけではなく独学で勉強し身につけたという大変な努力家であり、また64歳の時にホテルの一室で暴漢に襲われながらもタイマンで取っ組み合いを演じ遂には取り押さえるなど、見かけによらず気骨ある人物でもありました。

どんな短いスピーチでも、そして結婚式などのプライベートな挨拶をするにも、事務所スタッフに相手方の資料を集めさせ、万全の準備をして臨んだという宮沢氏・・・政治家としての発言の重みを十分に感じていたのでしょう。

最近は発言が軽い(?)議員さんが多い政界を眺める時、宮澤氏の姿勢と実務能力を見習って欲しいと思うのです・・・酒乱癖は除いて。あせあせ


            

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こちらの記事はhttps://ameblo.jp/warmheart2003/entry-10256222518.html?frm=themeより引用させて頂いております。