
宰相の母
15歳の息子が志を抱いて上京する、その時・・・駅での別れしなに、母は言ってきかせた。
「世の中には働いてから休む人と、休んでから働く人がいる。
お前は働いてから休む人になりなさい。
お前が人並みにお金を稼げる人間になって、人様にお金を貸したら、
そのことは忘れなさい。
だけど、借りたちお金は絶対に忘れるな。
約束した日に必ず返しなさい。
悪いことをしないと食べていけなくなったら、いつでも帰ってきなさい。
ここはお前の家だ。」
少年は苦労を重ねつつ実業界から政界に転進、メキメキ頭角を現していく。
あるイギリス人ジャーナリストが、この大物政治家の取材で彼の故郷を訪れると、まだ元気だった母親がこう言ったとか。
「先生、おら家の息子は東京で何か悪い事をしているんじゃござんせんか?」
〝嗚呼、母親はいくつになっても子供の身を案じている〟
このジャーナリストには終生忘れられない言葉になったという。
そして上京してから38年の月日が流れ、息子は遂に総裁選に立候補。
自宅に駆けつけた多くの支援者たちが固唾を呑んでテレビに見入る中、見事に彼は当選を果たす。
立ち上がって手を上げ、万来の拍手に応える息子の額は汗びっしょり。
羽織り紋付姿でテレビの前に正座していた母は、その様子をみると袂から日本手拭を取り出し、ブラウン管に映る我が子の額を拭き始めた。
部屋中に溢れた人々は、思わず笑い出した。
しかしその無遠慮な笑いは、やがて忍び泣き・すすり泣きに変わったという。
母の名は、田中フメ。
そして息子の名は・・・言わずと知れた、田中角栄。
<17歳頃、青雲の志に溢れた若き田中角栄>
今日は、5月第2日曜日・・・母の日です。
<※参考文献 『男たちの履歴書』(早坂茂三氏・著)>
こちらの記事はhttps://ameblo.jp/warmheart2003/entry-10492030752.html?frm=themeより引用させて頂いております。

