家 伝

40代以上の読者ならば、映画 『柳生一族の陰謀』 をご覧になった方も多いと思います。

名監督・深作欣二氏がメガホンを取り、1978年に公開されたこの映画・・・徳川家の跡目争いを軸に、3代将軍・家光を影で支える柳生一族の暗躍を描いたスケールの大きな時代劇として、高い評価を受けました。

刀の鍔を片目に当てた隻眼・柳生十兵衛役の千葉真一が、カッコ良かったですょネ。

それはさておき、この映画の主役・・・萬屋錦之介が演じた十兵衛の父・柳生但馬守宗矩の命日が、今日・3月26日なのです。

元亀2(1571)年、剣術家・柳生宗厳の五男として生まれた宗矩は、父と共に徳川家康に仕え、関ヶ原の戦いで戦功をあげて大和国柳生荘に二千石を与えられます。

慶長6(1601)年に徳川秀忠、そして後に家光の剣術師範役となり・・・家光が3代将軍になると大いに信任を受け、寛永9(1632)年には初代・幕府総目付となり、諸大名の監視を任されます。

映画等では剣術の達人であり、かつ隠密の頭領のような悪役(?)的イメージで描かれていますが・・・実際には歴とした大名であり、現代でいえば大統領に仕えるCIA長官といったところだったのでしょう。

沢庵和尚と共に徳川家光を支えつつ、(宮本武蔵の五輪書と並び近代武道書の最高峰といわれる)柳生新陰流の技法・理論をまとめた 『兵法家伝書』 を残した宗矩は、正保3年3月26日(1646年5月11日)、76歳でこの世を去りました。

実は彼の墓所が奈良県・柳生の里の他に、東京・練馬区の廣徳寺にもあるのです。(

             ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草-柳生宗矩

                 < 柳生但馬守宗矩之墓 >

同時期に活躍した宮本武蔵が「勝つ剣」を究めようとした求道者であったのに対し、宗矩は「剣を活かす」事を考え続けた文武両道の達人といえるでしょう。


彼の残した言葉・・・

「我 人に勝つ道は知らず 我に勝つ道を知りたり」

「平常心をもって一切の事をなす人、是を名人と云ふ也。」 

う~む・・・達人だからこそサラリと言えるんでしょうね、こんな淒いこと。 刀



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