寵 愛

2009-11-02 07:07:07
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今日・11月2日は、江戸・元禄時代に権勢を誇った幕閣の命日にあたります。

 柳沢 吉保

1658(万治元)年、上野国館林藩士・柳沢安忠の長男に生まれた吉保(保明)は、当時館林藩主だった綱吉の小姓として仕えます。

1680(延宝8)年、綱吉が将軍になると同時に彼も幕臣となり小納戸役を任ぜられると、その後は綱吉の信頼を一身に受けてトントン拍子に出世。

1694(元禄7)年1月に武蔵川越藩主、そして同年12月には老中格に・・・そして4年後には左近衛権少将に任じられます。

            ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草-柳沢吉保

更に1701(元禄14)年、綱吉から一字を与えられて吉保と名乗り、その3年後には天領でもあった甲府藩15万石の藩主に任ぜられ、1706(宝永3)年には大老格にまで登り詰めます。

総理大臣秘書補佐(?)になってから僅か26年、48歳で副総理か官房長官の地位にまで出世したのは、偏に将軍・綱吉の寵愛があったればこそ・・・一体この2人はどういう関係だったんでしょうネ?

「吉保は綱吉の隠し子」 という説もあるそうですが、その真偽の程は不明。

皆様のご想像にお任せするしかありません。

そんな吉保も1709(宝永6)年に綱吉が亡くなると、その僅か3ヶ月余り後には自ら役職を退き、長男に家督を譲って隠居してしまいます。

権力の移行を察知して即座に身を引き、一族の安泰を図るところは見事といえましょう。

夏の選挙で惨敗しながら、比例区のおかげで国会議員の座に居残った元与党の実力者の皆さんには、是非見習っていただきたい身の処し方かも?うー

正徳4年11月2日(1714年12月8日)、57歳でこの世を去った柳沢吉保・・・松の廊下で刃傷沙汰を起こした浅野長矩を、十分な吟味もせずに即日切腹させるなど、庶民の間には〝ヒール役〟のイメージがあります。

しかしかつて藩主を務めた川越藩では、着任半年で三富新田 (さんとめしんでん) の開発に着手、また甲府で甲府城修築や城下町整備などを行うなど、地元では大変評価された為政者だったとか。

政治家はイメーシではなく、あくまで実績と行動で評価されなければ、ご本人も浮かばれないですょネ。

     

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こちらの記事はhttps://ameblo.jp/warmheart2003/entry-10338723861.html?frm=themeより引用させて頂いております。