岐 路

2011-11-20 07:07:07
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「人生には(誰でも)3回チャンスが訪れる」・・・
と、よく言われます。 

進学・就職・転職・結婚等々、人によってその〝チャンス〟はそれぞれでしょうが、その人生のターニングポイントを生かすも殺すも、本人次第。

そしてこのチャンスをみすみす逃してしまった (と私が個人的に思っている) 出来事が政界で起こったのが、今から11年前の今日でした。 俗に言う

 〝加藤の乱〟

主役となったのは、自民党衆議院議員・加藤紘一氏。

山形県・鶴岡市長、衆議院議員を務めた加藤精三氏の五男として1939年に生まれた紘一氏は、日比谷高校-東大-外務省を経て父親の地盤を引き継ぎ1971年に衆院議員に当選した、典型的なプリンス・世襲議員。

当選を重ね党内で着々と出世、1984年の中曽根内閣改造時に防衛庁長官として初入閣。 1995年に橋本内閣で幹事長に就任、3年後には宏池会々長に。

早くから若手ホープとして(山崎拓氏)(小泉純一郎氏)(加藤氏)3人が注目される中では最も総裁のイスに近いと目されていました。

そして2000年11月20日、それは起こりました。

この前年に小渕氏との総裁選に敗れた加藤氏は、その後小渕氏急逝に伴い誕生した森内閣が支持率低迷に喘ぐ中、「森内閣に改造はやらせない」 と党幹部に公言。

山崎拓氏と共に、野党が提出すると目されていた内閣不信任案に賛成する動きを明確に打ち出しました。

             ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草-加藤

総裁選で衝突した小渕氏に干されていた現況を打破しようとしたのか、いわゆる 「造反」 により党改革と失地回復を目論んだワケです。

マスコミに露出して注目度を集め、盟友と手を組んで派閥内の支持を受けて大勝負に出た・・・はずなのですが、「不信任案賛成の場合は除名・非公認」 という党執行部の強硬姿勢に怖れをなした味方が次々と切り崩され、クーデターは頓挫。

結局不信任案が提出される11月20日の本会議開催前に加藤・山崎両派閥合同総会を開き、本会議欠席を決定。

それでも1人出席して賛成票を投じようとする加藤氏を派閥議員が押しとどめるシーンがTVニュースを通じて全国に流されましたが、ご覧になった記憶がある方もいらっしゃるでしょう。

私にいわせればこの場面、信長打倒を口にして配下共々本能寺に出向いたものの、いよいよ突入の段になってビビッた腹心から 「やっぱり止めときましょう」 といわれて袖を引っ張られ、スゴスゴと正門前から撤退したようなもの。

結局、何事もなかったかのように不信任案は否決されました。

その後の加藤氏は宏池会の分裂、事務所代表の所得税法違反による離党、さらには放火による自宅焼失など、踏んだり蹴ったり。

もしあの時、止める派閥議員を振り切ってでも本会議で賛成票を投じていたら、その後の政治活動は大きく変わっていたかもしれません。

いやそれ以前に、若い時からプリンスとしてチヤホヤされるばかりで神輿を担ぐ立場になかった彼の、大将としての勝負弱さ・脆さ、政治手腕の稚拙さが露呈してしまった・・・とも言えましょうか。

現在でも時々マスコミに登場する加藤氏ですが、その発言がどうしても軽く聞こえてしまうのも致し方ないかもしれません。


また、当時は静観を決め込んだ小泉純一郎氏がその後総理大臣になり、必死に加藤氏の本会議出席を止めた谷垣氏が自民党総裁になったことは、あまりにも皮肉。

ここぞというチャンス・勝負所は逃げてはいけない・・・彼の造反劇の顛末を思い出すにつけ、つくづくそう思うのです。

ただ、かく言う自分の場合、その好機は既に3回来てしまったようですけど。うー



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こちらの記事はhttps://ameblo.jp/warmheart2003/entry-10984803630.html?frm=themeより引用させて頂いております。