左ハンドル

プロボクシングでは、1952年に白井義男が初のチャンピオンになって以来、現在まで60人余りの日本人世界チャンピオンが生まれています。

その中で年輩のボクシングファンにとっては懐かしく、また〝史上最強の日本人チャンピオン〟と呼び声の高いチャンプといえば、

 大場 政夫  選手

ではないでしょうか。


今日は、この若くして亡くなった天才ボクサーの命日にあたります。


大場選手は1949年に東京都墨田区に生まれました。


父親がギャンブル好きだったため極貧の少年時代を過ごしましたが、同時にボクシング好きでもあった彼の影響で、「世界チャンピオンになって、両親に家を建ててやろう」 と子供心に決意したといいます。


中学卒業と同時に帝拳ジムに入門し、17歳でプロデビュー。


アメ横の 「二木の菓子」 に勤めながら練習に励み、ノンタイトル戦で日本王者・東洋王者を次々に破ると、1970年にタイのチャンピオン・チャルバンチャイ選手を21歳の誕生日翌日にKOで倒し、WBA世界フライ級チャンピオンとなります。

            ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草-大場政夫

その後このタイトルを2年3ヵ月にわたり防衛したのですが、私が今でも鮮烈に覚えているのが、その5回目の防衛戦。


1973年1月2日にタイのチャチャイ・チオノイと対戦した新春タイトルマッチは、おそらく日本ボクシング史上最高のファイトといっても過言ではないでしょう。


1回に挑戦者の右フックを浴びてダウンを喫した大場選手は、その際に右足首をねん挫する大ピンチ。 しかしそこから足を引きづりながら逆襲、12回にKOで逆転勝利を収めたのです。


当時はもちろん、今VTRを見ても毛穴が開くほどの壮絶な試合でした。

しかし、悲劇はそのタイトル防衛線から僅か3週間余り後に訪れます。

1月25日午前11時20分過ぎ・・・愛車・シボレーコルベットを駆って帝拳ジムに向かう途中、首都高速5号線のカーブで曲がり切れず対向車線に飛び出し、対向の11トン大型トラックと衝突。

シボレーは大破し、大場選手は殆ど即死状態だったといいます。 

          ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草-大場政夫

現在はしっかりとしたガードレールが設置されていますが、当時の現場は高さが僅か25cmの中央分離帯。

そして写真の如く、大破したのは左ハンドル側のみで右側は無傷。 もし彼が国産の右ハンドル車に乗っていれば・・・と、ついつい思ってしまいます。

4度目の防衛戦で一度ダウンを奪われながらの逆転勝ちするなど、相手に打たれても打ち返すボクサーファイターだった故に脳にダメージがあったという説や、交際していた女性にふられてムシャクシャしていたという説など、事故原因についてはいろいろ言われていますが、今やその真相を知る術はありません。

ファイトマネーで一軒家を建てて両親にプレゼントし子供の頃からの夢を実現しながらも、23歳の全盛期に散った〝永遠のチャンピオン〟のご冥福を、1人のボクシング・ファンとして心よりお祈り致します。笑3

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こちらの記事はhttps://ameblo.jp/warmheart2003/entry-10672432754.html?frm=themeより引用させて頂いております。