帰 国


今からちょうど40年前の今日・・・1人の日本人が全国民注目の中、羽田空港に降り立ちました。 その人の名は、

 横井 庄一 さん

若い方はご存じないかもしれませんが、中高年の皆さんには忘れられない名前・・・戦時中からグアム島に潜伏、28年ぶりに奇跡の生還を果たした方でした。


1915年、現在の愛知県愛西市に生まれた横井氏は、学校卒業後洋品店に勤務。

1935年から4年間陸軍で兵役に就いた後に洋服の仕立て屋を開業しますが、太平洋戦争開戦後再招集され、満州を経て1944年に歩兵第38連隊の伍長としてグアム島へ。


戦況が激化し消息が不明となった横井氏は戦死扱いに・・・しかし彼は自ら地下壕を掘るなどして、ジャングルで生き延びていたのです。


当初は戦友と2人だったそうですが、やがて仲間は死亡。

単独行動をしていた横井氏は、日本が降伏し終戦になったことをかなり経ってから知ったそうですが、上官の投降命令もなく 「もし見つかって捕まったら殺される」 と思い、草木やネズミなどを食べ必死に生き抜いたとか。


そして1972年1月、食料の川エビを捕っていたところを地元猟師に発見・保護された横井氏は2月2日に帰国、57歳で再び祖国の地を踏みしめたのです。


〝生きて虜囚の辱めを受けず〟という戦陣訓を叩きこまれていた日本軍人の横井氏が、羽田空港で口にした第一声、


「恥ずかしながら、生き永らえて帰ってまいりました。」


は、その年の流行語となりました。

             ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草-横井 庄一

帰国後、急速に変化した日本についていけるだろうか? という周囲の心配は杞憂に終わり、驚くほど早く環境に馴染んだという横井氏・・・ジャングルで生き抜いただけあって、人一倍の適応力があったのでしょうネ。


ほどなく見合い結婚をした横井氏は、贅沢が当たり前になりつつあった当時の風潮の中、〝耐久生活評論家〟として全国を股にかけて講演する人気者になり、本も出版。


1974年には参院選挙に立候補しましたが落選。

その後は胃がんやパーキンソン病などの病気に苦しめられたようです。


青年期から壮年期まで過酷な環境での生活と栄養不足が続いたことで、身体に大きな負担がかかったのかもしれません。


約2万人の日本兵が玉砕したグアム島で自分だけが生き永らえた後ろめたさに、生涯苛まれたという横井氏が82歳で安らかな眠りについたのは1997年。


帰国後、故郷に帰って自分の墓を見るという稀有の経験をされた横井氏もまた、戦争被害者であったといえましょう。


横井氏の発した 「恥ずかしながら・・・」 と言う言葉、私たち現代人はあらためて噛み締めるべきかもしれませんネ。笑3



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こちらの記事はhttps://ameblo.jp/warmheart2003/entry-11052732710.html?frm=themeより引用させて頂いております。