
弾丸ドライブ
本州を貫く大動脈・東名高速道路。
普段あまり意識しませんが、東京ICからどこまでを東名高速というのか・・・ご存知ですか?
正解は、愛知県にある小牧ICまでなんですって。
この全長346.8kmに及ぶ、日本で初めてと言っていい長距離高速道路が全線開通したのが、今からちょうど40年前・・・1969年の今日・5月26日のことでした。
総工費約3,425億円をかけた大事業は、その後のクルマ社会の到来を予感させるものでした。 当時〝1m造るのに100万円もかかった道路〟 と聞いて、子供心に大変驚いたことを覚えています。
走ってみるとこの道路、高速という割には意外とカーブやアップダウンが多く、結構ヒャッとした経験をお持ちの方もいらっしゃるのではないでしょうか?
私も社会人になってからは、何度となく走ったこの高速道路・・・一番の思い出は、今から20年以上前の若かりし頃のことでした。
<東名高速道路・浜名湖付近>
同じ職場の後輩社員が結婚することとなり、私も他の同僚社員と神戸での披露宴に招待された時のこと。
当時はまだ20代後半で金欠状態のワタクシ・・・何とか交通費を浮かすべく、「運転は全部私がやりますから、クルマで一緒に行きましょうョ!」 ってな調子で、あまり乗り気でない先輩と高速&ガソリン料金を折半することに成功。 披露宴当日(!)の土曜日午前0時に先輩を世田谷の自宅で拾って、いざ東京ICのゲートをくぐりました。
真夜中の東名・・・経験のある方はご存知でしょうが、この時間帯に走っているのは殆ど運送関係のトラックばかり。それも結構トバしてるんです。
中にはオシリを振って、明らかに居眠り運転と分かるトラックもいて、ビビッた私が車間距離を開けると・・・同じトラック仲間が真後ろにつけて、クラクションを鳴らし続けるんです。
その音にハッと起こされて 「正常運転」 に戻った前のトラックが、後方車に感謝の気持ちでハザードランプを点灯・・・トラックドライバー同士の友情を目撃して、思わずジ~ンとしたものです。
そんなこんなで3時間余り走り続けたところで、浜名湖SAの看板が・・・。
「せっかくここまで来たんだから、うなぎ食べましょうョ!」 と先輩に提案、有無を言わさずインターチャンジに入っていきました。
全くといっていい程ドライバーがいない食堂で午前3時半にうな重を平らげ、再びノンストップで走り続けたナベちゃん車は、午前7時過ぎには京都に到着。
ここでも、「先輩、せっかくここまで来たんですから、京都見物しましょうョ。」 呆れ顔の先輩を乗せたまま、朝8時前に清水寺からスタート、6,7ヶ所の寺をグルッと見物して、午後1時開宴の披露宴には余裕で間に合いました。
期待した神戸牛が食事に出なかった ことに若干不満を感じながらも、披露宴は無事終了。
更に経費節減を目論む私は、酔っ払っている2人の上司に 「ご自宅までお送りしますョ」 と甘い言葉をかけて、帰りの経費を全部面倒をみてもらう事にまんまと成功! ルンルン気分で一路東京に向けスタートしました。
そして午後7時過ぎだったでしょうか・・・それまで後部座席で爆睡していた上司が突然ムクッと起きて、
「おいナベちゃん、せっかくだから浜名湖のうなぎ、食いてぇナァ!」
ちょうど手前を走っていたので、再び浜名湖SAへと入っていったのですが・・・ここで私は初めて知ったんです。
このSAが 「上下線共用」 だったってことを。
そういえば、未明に入った時に見慣れないゲートがあったんですが、それって高速券の不正防止のためのものだったらしいんですょネ。
おまけに偶然というのは恐ろしいもので・・・上司らと4人で食べたのは、16時間余り前に食べた同じテーブルで、同じうな重!
な、なんだかなぁ・・・。
その後、満腹で再び深い眠りについた上司・先輩社員の3人を全て送り届け、我が家に到着したのは翌日・日曜日の午前1時過ぎ。
約25時間の〝弾丸ドライブ〟は走行距離約1,350km。食事は結婚披露宴に出された和食膳と、うな重2杯という内容でした。
実はこの日曜日、早起き野球に参加する約束になっていた私。
2時間仮眠を取っただけで再び午前4時に家を出て向かった先は・・・ついさっき通った東名高速・川崎ICを降りてすぐのグラウンドでした。
いやはや、今では考えられない強行軍。 若さって素晴らしいですネ!
私は東名高速を走るたび、あの 「弾丸ドライブ」 を思い出すのです。
こちらの記事はhttps://ameblo.jp/warmheart2003/entry-10241670001.html?frm=themeより引用させて頂いております。

