
慶早戦
我が母校・慶應義塾大学にとって、永遠のライバルである早稲田大学。
この両校が初めて野球で対戦・・・すなわち最初の〝慶早戦〟(※慶応出身者は早慶戦とは言いません!) が行なわれたのは、今から106年前の今日・1903年11月21日だったそうです。
既に野球部創設15年、当時最強といわれた一高にも勝利する実力を持った慶大に、創部1年余りの早大野球部・橋戸信主将が挑戦状を送ったことにより対戦が実現。
三田綱町球場で行われた記念すべき第1戦は、11-9で慶応が勝利。
以後定期戦が行われるようになり、これが東京六大学リーグ戦のルーツとなっているのです。
現在では野球だけに留まらず、ラグビー・レガッタを始めとして、あらゆる競技でお互いを意識しながら対戦を続ける両校。
卒業後社会人となってからも、取引先や飲み屋のカウンターでお会いした方がどちらかのOBと分かった時点で、最早他人とは思えない・・・そんな経験も何度となくしたものです。
さて、私にとって最も印象深い慶早戦といえば・・・それは観戦したものでなく、プレーした試合です。
私が所属していたのは体育会準硬式野球部。
春・秋に東京六大学リーグ戦があり、早大との対戦は毎シーズンありましたが、その中でも忘れられないのは、2年生の春。
当時の早大は甲子園経験者が何人もいる、リーグ戦で連続優勝中の強豪。
我が慶大はそれまで対早大戦14連敗。
そんな中、そのシーズンからピッチャーとして登録された私は、対早大1回戦に先発・・・そしてナント4-0で完封勝ちを収めてしまったのです。
正直勝った瞬間はそれ程の喜びは湧いてこなかったのですが・・・その試合後のミーティングでのことでした。
円陣の中央で、4年生の長谷川主将が口を開きました。
「オレが入部した時の目標・・・それは早稲田に勝つことだった。
しかし残念ながら今まで連敗記録を更新し続け、このまま卒業まで勝てないかもしれないと、半ば諦めかけていたんだが・・・今日遂に念願の勝利、しかも完封勝ちを収めることができた。
オレは主将として春合宿から厳しい練習を課してきたけれど、それが報われたのだと思う。 みんな、よく頑張ってくれた。
そして、特にナベ・・・よく投げ切ってくれたな。
本当にありがとう。」
そう仰って、しばし絶句する長谷川主将の眼にはうっすらと涙が・・・。
私は主将の姿を見て初めて慶早戦の歴史と重み、そして先輩方の想いを知り、(もしかして、自分は大変なことをしたのでは?) と身震いしたものでした。
その試合は、ただキャッチャー・長谷川主将のサイン通りにひたすらミットめがけて投げただけで勝ちましたが、チーム力の差は如何ともし難く・・・その後私が卒業するまでの6シーズンで早大に勝てたのは、僅か2試合だけ。
私を主戦投手に抜擢して下さった長谷川主将は卒業後保険会社に就職されましたが、社内検診でガンが発見されてから僅か3ヶ月後の冬・・・美しい奥様と小さな一人娘を残して、30歳になるかならぬかの若さで天に召されてしまいました。
私にとっての〝慶早戦の思い出〟・・・それは、東伏見の早稲田総合グラウンド野球場でのミーティングで、今は亡き長谷川主将の日焼けした頬を伝った、一筋の涙なのです。
こちらの記事はhttps://ameblo.jp/warmheart2003/entry-10352364637.html?frm=themeより引用させて頂いております。

