放 浪


一昔前は芦屋雁之助さん、最近ではドランクドラゴンの塚地武雅さんが演じたTVドラマ・『裸の大将』 シリーズでお馴染みの、

 山 下 清 氏

今日は、〝日本のゴッホ〟 ともいわれた彼の命日にあたります。


山下氏は1922(大正11)年に現在の東京都台東区に生まれましたが、翌年に起きた関東大震災により自宅が全焼し、新潟市に転居。

このことが原因だったのか、3歳の時に重い消化不良を起こして3ヶ月も高熱にうなされ続け、一命は取り留めたものの言語障害・知的障害が残ってしまいます。

翌年帰京し、浅草の小学校に入学したものの障害のためイジメられた上に父親が病死する不幸に見舞われます。

更には母の再婚相手が 「いじメた相手は刃物で怪我させろ」 とけしかけるような人物で、結果彼は実際に小刀を持ち歩き学校で傷害事件を起こしてしまいます。

思い余った母は、彼を養護施設・八幡学園に転入させたのですが、そこで出会ったのが 〝ちぎり絵〟 でした。


元々絵を描くのが好きだった彼は、ちぎり絵の制作に没頭。

更に同学園の顧問精神科医・式場隆三郎氏の指導を受け、その才能は一気に開花。

1938年に銀座で初個展を開催するまでになり、翌年には大阪でも展覧会を行い重鎮・梅原龍三郎氏からも高い評価を受けました。

           ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草-山下清

しかし、ちぎり絵だけで山下氏の心は満たされなかったようです。

「僕は八幡学園に六年半も居るので 学園があきてほかの仕事をやらうと思ってここから逃げていかうかと思っているので へたに逃げると学園の先生につかまってしまふので上手に逃げようと思って居ました」


そう日記に書き残し、彼は18歳の時に突然八幡学園を飛び出し放浪の旅に。

徴兵検査を逃れたかったことも動機のひとつだったようですが、途中無理やり受けさせられた徴兵検査では皮肉にも不合格となって兵役免除・・・結局放浪の旅は、都合14年間に及びました。

その長旅を題材にしたのが、ドラマ・『裸の大将』 シリーズ。


同作の中では山下氏がリュックサックを背負う姿がトレードマークとなっていますが、実際に背負ったのは僅か2年程で、当初は茶箱を抱えての旅だったとか。


それから風呂敷 → リュックへと変遷を辿ったのが本当のところだったようですが・・・やっぱり茶箱を抱えた姿だと引越しの手伝いみたいで画にならなかったんでしょうネ。あせあせ

またドラマでは行く先々で絵を描いていましたが、実際には殆ど旅先で絵は描かなかったのだそうです。

山下氏は驚異的な記憶力の持ち主 (※ごく特定の分野に限って、常人には及びもつかない能力を発揮する者の症状を指す〝サヴァン症候群〟だったとの説あり) で、旅から帰ってからその記憶を辿って集中的に作品を制作したとのこと。

山下氏の記憶というフィルターを通した独特の作風が、写真とは一味違った感動を観る人に与えるのかもしれません。

特に花火を画材にした作品は、とてもちぎり絵と思えぬ実に繊細な出来栄え。

          ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草-花火

ただテレビドラマの影響もあって彼の作品は人気が高く、またその経歴の関係で画壇に所属していなかったために鑑定できる人がおらず、多数の贋作が出回っていることは残念至極。

今からちょうど40年前の1971年7月12日、脳出血のため49歳でこの世を去った〝放浪の天才画家〟のご冥福をお祈り致します。笑3

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こちらの記事はhttps://ameblo.jp/warmheart2003/entry-10862430427.html?frm=themeより引用させて頂いております。