新・野球王国


今年の高校野球は、興南高校に始まり、興南高校で終わりました。

エース・島袋投手の力投と、強力打線の猛打爆発・・・春夏連覇は実力通りの横綱相撲、お見事というしかありません。

沖縄県代表の活躍は、子供の頃から40年程高校野球を見ている私にとって、大変感慨深いものがあります。

歴史を紐解けば、戦後初めて沖縄代表が甲子園に出場したのは私が生まれた1958(昭和33)年・・・それは沖縄が本土復帰を果たす15年前、まだアメリカ占領下にあった時代のことでした。

第40回の記念大会ということで沖縄にも出場枠が与えられ、地区予選を勝ち上がった首里高校が出場。

地元はもちろん、日本中から大きな声援を受けて甲子園にやってきた同校でしたが、福井県代表の敦賀高校に僅か3安打・0-3で完封負けを喫します。

(ちなみにこの大会では、現在テレビで活躍している板東英二氏が徳島商業のエースとして活躍、未だに破られていない甲子園大会通算奪三振83という記録を作って準優勝しています。)

         ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草-首里高校

敗れた彼らが甲子園の土を持って帰ろうとした際、沖縄がアメリカ統治下にあったがために同国の植物防疫法に基づき土は没収、海に投棄された・・・という悲話が新聞に掲載され、あらためて沖縄が外国である現実を国民に知らしめることになったとか。

その時の悔しさをバネに、沖縄の野球レベルは着実にアップしていきます。

それから5年後の1963年、那覇高校が日大山形高校を下し念願の初勝利を収め、県民の野球熱は更に高まりましたが、私の記憶に残る沖縄県勢の強豪校といえば、豊見城高校と沖縄水産高校。

この両校を率いて春夏通算17回の甲子園出場を果たしたのが、名将・栽弘義監督(故人)でした。

随分昔ですが同監督の特集番組がNHKで放送され、選手たちが猛暑の中グランドの片隅でもどしながら練習する姿を見て、衝撃を受けたことを覚えています。

同監督の率いる沖縄水産が1990、1991年と2年連続で夏の甲子園準優勝を果たした時、もう沖縄に優勝旗が渡るのは時間の問題と思いましたが・・・果たせる哉、1999年の春に沖縄尚学高校が強豪・PL学園を破って念願の初優勝を飾ります。

この時の同高監督・金城孝夫氏は、豊見城高校出身で栽監督の教え子。

そして昨日念願の春夏連覇を果たした興南高校・我喜屋監督は、同校が1968年に沖縄県勢初のベスト4入りを果たした時の主将。

夏の甲子園・全国制覇の夢を脈々と受け継いだ沖縄県民の願いが、遂に成就したわけです。

        ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草-優勝行進

首里高校が初出場・初戦敗退した時、〝学生野球の父〟といわれた早大野球部初代監督・飛田穂洲氏がナインに贈った言葉・・・

「君たちの試合を日本中が称賛しているが、決してそれに満足してはいかん。

 同情されることは恥だと感じる心こそが、己を大きく育てる力になるはず。

 他人の力をあてにすることなく、自分で困難を乗り越える。

 内地の人間に憎らしいと思わせるような強いチームを目指せ。」

これが約半世紀の時を経て、現実のものとなりました。

「野球王国」 といえば嘗ては四国のことでしたが、今やその代名詞は沖縄のものになった・・・そう言っても過言ではないでしょう。

史上初めて太平洋を渡り、機上から東シナ海を眺める深紅の大優勝旗。

興南高校ナイン、沖縄出身のブロガーさん、そして沖縄県民の皆さん、

本当におめでとうごさいます!扇子


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こちらの記事はhttps://ameblo.jp/warmheart2003/entry-10625333862.html?frm=themeより引用させて頂いております。