新聞王

昨日、拙ブログでご紹介した自由の女神。 今日は、その台座建設資金を募金で集めた立役者、

 ジョーセフ・ピューリッツァー

   (Joseph Pulitzer

の命日なのです。

1847年にハンガリーでユダヤ系の家庭で生まれたピューリッツァーは、17歳の時アメリカに移住。

南北戦争に北軍の騎馬部隊の一員として従軍した後、セントルイスに落ち着き、「ウェストリッヒ・ポスト」 というドイツ語日刊新聞社に入社。

その後共和党員として22歳でミズーリ州議会議員に選任され、2つの新聞社を買収・統合・・・その成功で自信を深めた彼はニューヨークに進出、1883年に赤字で苦しむ 『ニューヨーク・ワールド社』 を買収します。

しばらくして女神像がアメリカに贈呈されることを知った彼は、一計を案じます。

彼は新聞紙上で読者に対し、

「フランス民衆からアメリカ民衆に贈られた女神像を我々の手で完成させよう」

と訴え、僅か5セント・10セントの募金をした読者でも、全員の名前を紙面に掲載すると発表・・・自分の名が新聞に載るという魅力にひかれ、12万人もの協力者を集めることに成功。

これを契機として、それまでたった15,000部だった同紙を朝・夕・日曜版合計で100万部の大新聞に成長させたピューリッツァーは「新聞王」 と呼ばれることに。

彼は女神像を利用したアイデア一発で、大成功のキッカケを摑んだのです。

              ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草-ピューリッツァー

同紙の記事は、読みやすい簡潔な文章、(金融腐敗等の)上量階級への攻撃、日々起きている社会の出来事を取り上げることで人気を博しました。

しかし後に、ニューヨークに進出したウィリアム・ハースト率いる 『ニューヨーク・サン』 紙と編集者や人気漫画家の引き抜きなどを含めた激烈な部数獲得競争を繰り広げる中で、〝イエロー・ジャーナリズム〟といわれるスキャンダル・センセーショナリズムへと傾いていきます。

その後記事を巡って時の大統領・ルーズベルトと争った末、最高裁で勝利を収めるなどしたピューリッツァーは1911年10月29日、自ら所有するヨット上で亡くなり、64歳の生涯に幕を閉じました。

彼が生前より熱望していたジャーナリスト専門学校の創設は、彼の寄付金を基にして翌1912年コロンビア大学ジャーナリズム大学院の設立により叶えられます。

そして優れた報道写真に授与されることで有名な 「ピューリッツァー賞」 は、1917年より毎年・・・現在は全21部門で表彰が行われており、今や〝ジャーナリズムのアカデミー賞〟といわれる程の権威があります。

自身が作り上げた新聞社は既にその名を残してはいませんが、世界的に権威ある賞に自分の名が冠せられ今もって存在することで、彼はさぞ満足していることでしょう。笑2


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こちらの記事はhttps://ameblo.jp/warmheart2003/entry-10335884064.html?frm=themeより引用させて頂いております。