是非に及ばず

2009-06-02 07:07:07
テーマ:

今日は我が国の戦国史上、最も謎が多い事件が起きた日であり、また同時に最も有名な武将の命日でもあります。

今から417年前、天正10年6月2日(1582年6月21日)未明に、あの

 『本能寺の変』

は起きました。

織田信長に毛利軍と交戦していた羽柴秀吉の援軍を命じられた明智光秀が13,000の兵を率いて6月1日夕刻に丹波亀山城を出陣。

京の桂川を渡ったところで、突如 「敵は本能寺にあり」 と声を発して進路を変え、6月2日未明に本能寺を包囲します。

物音に目覚めた信長は、家臣から明智軍に包囲された旨の報告を聞くや、弓を手に抵抗を試みるも圧倒的な敵兵の数を見て覚悟を決め、森蘭丸に火を放たせた上で自刃したといわれています。

           ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草-織田信長

この本能寺の変については、光秀が起こしたことは確かなものの、その動機については確たる証拠がなく、さまざまな説が唱えられています。

 直前に信長から受けた仕打ちを恨んだという 「光秀怨恨説」

 光秀自身が天下統一を目指したという 「野望説」

 後ろで秀吉、あるいは家康が絵図を描いたという 「黒幕説」

  「イエズス会首謀説」 「千利休首謀説」 等々。

この時、本能寺から信長の遺体が発見されなかったことも、謎を一層深める要因となっています。 

百花繚乱(?)、様々な説がありますが、真実はただ一つ・・・皆さんは、どの説を信じますか?

私は意外と単純に、家臣に対する容赦ない仕打ちを見てきた光秀が、「明日は我が身」 と不安にかられた末に 「殺られる前に殺った自己防衛説」 を取りますけど・・・どうですかネ?あせあせ

もし信長が天下統一を果たしていたら?・・・秀吉・家康が天下を獲ることはなく、日本の首都は名古屋になっていたかも?

そんな仮説を立てるのも、歴史散歩における楽しみの一つかもしれません。

信長は(光秀)来襲を知った時に、

〝是非に及ばず〟

(※現代語訳:そうするしかない。しかたない。やむを得ない。)

と言い残したと伝えられています。

「天下布武」 を旗印に天下統一を目前にしながら、自らの家臣の手によってその夢を断たれた信長・・・49歳で自らの命を絶った刹那、彼の脳裏には〝敦盛〟が流れていたのでしょうか? 笑3


            

              ペタしてね




こちらの記事はhttps://ameblo.jp/warmheart2003/entry-10245175186.html?frm=themeより引用させて頂いております。