
時 効
国松 孝次 氏。
1961年、東京大学法学部卒業後に警察庁入庁。
広報課長として 『あさま山荘事件』 の現場指揮に参画するなどしてキャリアを積み重ねたエリート中のエリートは、1994年7月警察庁長官に就任。
それから約8ヶ月後の1995年3月30日朝、登庁のため自宅マンションから出てきたところを何者かに銃撃されたのですが・・・本日午前0時、15年前に起きたこの襲撃事件が公訴時効となりました。
護衛がついていながら襲撃を許し長官は3発被弾して瀕死の重傷、尚且つ犯人を取り逃がすという、これ以上ない失態を演じた警察でしたが、(警察トップが民間人と同じマンションに住んでいたことに少々驚かされた) 私自身、当初は警察の威信をかけた捜査により犯人は程なく逮捕されると思っていました。
それがまさか犯人を特定できぬまま時効を迎えるとは・・・。
この事件、刑事部がその10日前に起きた地下鉄サリン事件の捜査で手一杯だったことから、本来なら畑違いの公安部が当初捜査を担当したとのこと。
同部は、当初からオウム真理教犯行説を視野に入れて捜査を開始。
翌年5月にはオウム信者であった警視庁巡査長から事件に関する供述を得たものの立件できず、更に8年後逮捕に踏み切ったものの、結局不起訴処分。
一方刑事部は、現在収監されている (オウム真理教とは無関係の) 元強盗殺人未遂犯を本人の供述から本ボシと睨み捜査するも、目撃証言との食い違いや物証が乏しいために確証が得られぬまま。
私が不思議に思うのは、同じ警視庁組織内なのに事ここに至るまで公安部・刑事部がお互いの捜査方針を曲げないこと・・・彼らは情報交換等を通じて、犯人像の絞込みなどをしなかったのか? という点です。
警察の縦割り組織・セクショナリズムの弊害は以前から指摘されていますが、自らの組織トップに対する犯罪に関してさえ、その体質を打破できなかったのでしょうか?
1972年、国松氏も現地入りした 『あさま山荘事件』 では、警視庁と地元・長野県警が主導権争いなどで多大な内向きエネルギーを消費した様子が、佐々淳行氏の著作や映画で描かれていました。
また1984年、グリコ森永に端を発した一連の食品会社脅迫事件の捜査で、大阪・京都府警から事件の詳細を知らされていなかった滋賀県警の警察官が犯人をあと一歩のところで取り逃がし、後に同県警本部長がその責任を感じて自殺するという出来事も・・・。
残念ながら、それらの教訓は生かされなかったのかもしれません。
組織の面子よりも犯人逮捕が優先されなけば、重大かつ広域にわたる事件の解決が困難になるのは自明の理。
アメリカでは複数の州を跨る広域事件が発生した場合、FBI (連邦捜査局) が各州警察を超える権限を持って捜査するとか。
国土の狭い日本でそのような横断型組織を作る必要性の有無はともかくとしても、組織や意識を柔軟に改善しなければ、グリコ森永や今回の長官襲撃のような〝お宮入り〟事件がまた起きるのではないか・・・そんな不安を感じるのは、私だけなのでしょうか。
ところで、冒頭に公訴時効を迎えたと申し上げましたが、厳密にはまだ完全に望みが断たれたわけではないのです。
もしも刑事部が追っている元強盗殺人未遂犯が実行犯であった場合は、彼自身が一時期国外に出ているため、時効まであと10ヶ月程猶予があるとの事。
果たして今後電撃的な犯人逮捕・事件の全容解明はあるのかどうか?
・・・まだ目が離せません。
こちらの記事はhttps://ameblo.jp/warmheart2003/entry-10494138087.html?frm=themeより引用させて頂いております。

