暗 黒

今日は、1920~30年代の軍国主義に大きく傾いた日本において、プロレタレア文学の旗手として活躍した作家、

 小林 多喜二

の命日にあたります。     

(※プロレタリアは本来賃金労働者階級・無産者階級という意味ですが、〝プロレタリア文学〟は社会主義・共産主義的な革命的立場から描いた文学を指します。)

小林氏は現在の秋田県大館市てで1903年に生まれました。

4歳の時に北海道小樽市に転居し、伯父の援助を受けて小樽商業学校~小樽高等商業学校へ進学。

在学中から文学誌に投稿するなど文学活動に積極的に取り組みましたが、当時の世相や自らの貧しい境遇などからやがて社会運動に参加するようになりました。

卒業後、北海道拓殖銀行小樽支店に勤務した彼は、(1928年3月15日、当時徐々に勢力を伸ばしていた共産勢力に危機感を抱いた田中義一内閣が治安維持法違反容疑で日本共産党・労働農民党関係者約1,600名を一斉検挙した)三・十五事件を題材にした 『一九二八年三月十五日』 を発表。

しかしその中で特別高等警察(特高)の拷問を描写したため、彼らから目をつけられることに。  

              ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草-小林 多喜二

翌1929年に『蟹工船』を発表。 当時としては異例の35,000部も売れ、プロレタリア文学の旗手として注目を集めますが、これにより特高からは要注意人物としてマークされ、更に非合法活動を理由に銀行を解雇されてしまいます。

翌年上京して日本プロレタリア作家同盟書記長となった彼は全国で講演を行いますが、その後逮捕・拘留・保釈を繰り返した後、1931年に非合法化された日本共産党に入党し、地下活動に入ります。

小林氏は特高の拷問に屈しない芯の強さを持つ反面、天真爛漫な性格で多くの人から愛され、そのおかげで潜行生活を続けることができ、その間いくつもの作品を発表したのですが、最後は信じた仲間に裏切られてしまいます。

1933年2月20日昼頃、共産青年同盟中央委員会に所属していたMに誘われ、指示された待ち合わせ場所に向かった小林氏他1名を待っていたのは、築地警察署の特高刑事でした。

このMなる人物は、前年に逮捕され警察のスパイになっていたのです。

そのまま築地警察署に連行された彼は、丸裸にされ約3時間にも及ぶ執拗な拷問を受けて留置場に投げ込まれます。

そのぐったりした様子に同房者が看守を呼び警察署裏の築地病院に搬送されたものの、同日午後7時45分、死亡確認・・・まだ29歳の若さでした。

翌日母親の元に帰された遺体は、両太ももが内出血で変色して腫れあがり、手首や首に絞められた跡が残り、右人差し指は骨折していたそうですが、警察の発表は「心臓マヒ」。

不審に思った支援者たちが死因を確定させるべ遺体の解剖を依頼しましたが、どこの病院も特高を恐れて拒否。

小林氏の死を知って訪れた弔問客は特高によって次々逮捕され、更に3月15日築地小劇場で執り行われるはずだった労農葬も、当日葬儀委員長や関係者が警察により逮捕され取り止めになったといいます。

時代背景があったとはいえ、あまりに悲惨な最期を遂げた小林氏・・・しかし4年程前に若者の間で 『蟹工船』 ブームが起こり、文庫本が50万部近く売れました。

私も大昔に読みましたが、軍国主義時代に書かれたあの暗く重苦しい作品が民主主義の現在に生きる人々の共感を得たことを、小林氏自身は草葉の陰でどう思っているのでしょうか?

私は決して喜んでいないような気がするのですが。うー

次代を担う若者たちが明るい未来を実感できない社会には、2度としてはならない・・・そんな思いを抱きつつ、最期まで母親のことを気遣っていたという小林多喜二氏のご冥福をお祈り致します。


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こちらの記事はhttps://ameblo.jp/warmheart2003/entry-11089775984.html?frm=themeより引用させて頂いております。