
校 訓
正月も3日目、皆さんもそろそろ普通の生活に戻りたくなる頃でしょうか?
おせちを食べ飽きた我が家、今朝の朝食は激辛カレーでした。 カラ~ッ!
さて、今日は我が国の女子教育に於ける草分け的存在にして大妻学院(現・大妻中学高等学校、大妻女子大学)の創立者である、大妻コタカ先生の命日にあたります。
1884(明治17)年、広島県世羅郡で6人兄弟の末っ子として生まれたコタカ先生。 なんとその名は「6月の農繁期に6番目に生まれた『困った子』が訛った」のが由来とか。
現在だったら、それだけで虐待と言われちゃいそうです。
3歳で父を、そして14歳で母を亡くしたコタカ氏は、広島県立高等女学校を卒業後上京、和洋裁縫女学校に入学、教員養成所や神奈川の女子師範学校を卒業して、都下の学校で教鞭を取られました。
23歳の時に宮内庁御陵係であった大妻良馬氏と結婚後、ふとしたきっかけで瓶細工や手芸等を近所の娘さん達に手ほどきをするようになったそうです。
1908年に良馬氏の転勤で宮家の中に転居。 ここで縫製・手芸の家塾を開き、これが大妻学院の前身となりました。
当初は10人程度の私塾でしたが、コタカ氏の教え方が大変好評を博し、生徒数が飛躍的に増え・・・1917年には麹町に私立大妻技芸学校を開校、翌年には高等女学校に発展し、戦前の良妻賢母教育の代表といわれたそうです。
戦時中に婦人団体幹部として活動していたため、終戦後教職追放になったものの、1949年に学校長に復職、大学から中学まで一環教育学校を育て上げました。
1964年に女子教育者初の勲三等宝冠章を受章し、1970年に85年の生涯を閉じられました。
もちろん、私は卒業生ではありません が、大妻学院の校訓が大好きなんです。 それは、
〝恥を知れ〟
先生によると・・・これは決して他人に対して言うことではなくて、あくまでも自分に向かって言うべき言葉なのだそうです。
自分を高め、自らの良心に対して『恥ずる行いをするな』ということ。
人に見られたり、聞かれて恥ずかしいようなことをしたかどうか・・・自分を戒める言葉であると、先生はおっしゃるのです。
昨今の我が国を省みるに、今年度創立100周年を迎えた大妻学院のOGだけでなく、私を含め日本人全てが心に刻まねばならない、重い言葉ではないでしょうか?
こちらの記事はhttps://ameblo.jp/warmheart2003/entry-10175645670.html?frm=themeより引用させて頂いております。

