清 原

あの阪神淡路大震災から14回目の1月17日を迎えました。

建物の倒壊・火災で尊い命を奪われた犠牲者のご冥福をお祈りすると共に、あの日の教訓を忘れず、気を引き締めて万一の備えをしたいものです。

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さて・・・その大阪・岸和田出身で、昨年引退したスーパー・スターといえば、


「おう、ワイや。 巨人の番長・・・」の書き出しで、毎週のように 『FRIDAY』 誌上に登場した


清原和博 選手ですネ。


スポーツ雑誌・『Number』 の最新号で、彼の特集を組んでいました。 


彼自身のインタビューはもちろん、周囲で深く関わった選手・監督・裏方さんたちの〝今だから話せる裏話〟が満載で、非常に興味深く読ませていただきました。


彼は、よく〝無冠の帝王〟と言われましたょネ。


PL学園時代の頭抜けた成績、そしてプロ1年目から四番に定着して3割・30本を打った清原選手が、打撃タイトルを一度も獲得できなかったことは、私も不思議でなりませんでした。


しかしその原因を、西武入団時の監督であった森祗晶氏が 「それは彼が自らフォア・ザ・チームのバッティングをする打者だったからだ。」 と、明快に説明しています。


往々にして個人タイトルに走りがちな主砲が多い中で、清原選手は決して利己主義に走らなかった。 もしそうすれば簡単にタイトルには手が届いたはずだ・・・と。


なるほど、納得です。


他にも巨人入団、ひざのケガ、引退までの葛藤など、新聞などからは伝わらない真実が語られておりました。

           ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草-清原和博


この特集を読み終わった日、偶然にもスポーツ専門チャンネル “J-SPORTS” で、清原選手の独占インタビュー(ダイジェスト版)の放送を見ました。

インタビュアーは嘗てPL学園の寮で同部屋だった下級生、元・巨人ドラフト1位ピッチャーの橋本清さん。

体育会出身者(?)らしく、今でも先輩にビビリながらインタビューしている橋本さんの姿が微笑ましかったですが・・・。あせあせ

その中で、面白いエピソードが清原本人の口から聞けました。

あの1985年・運命のドラフト・・・あれほど憧れていた巨人にチームメートの桑田投手が指名され、自分は西武。

その瞬間、清原選手の第一感は、「西武って、どこにある球団なんや?」だったとか・・・。

そのドラフト会議があった日の夜、彼を慰めようと同級生が「集会」を開いてくれたそうなのです。 集団心理だったのか、仲間が「これから桑田を襲撃しよう」と言い出し始めたため、さすがの清原選手も

「いくらなんでもそれは止めてくれ。 オレは西武に行くから。 お前らにオレの(プロ野球選手としての)最初のサインやるから、これで勘弁してや。」

そういって彼が仲間に手渡したサインの球団名は、西武ではなく

〝 西 部 〟

と書いたのだそうです。


いかにも清原らしい・・・といいましょうか。

彼にとっては漢字すら知らない球団だったんですネ、ライオンズは。あせあせ

番組の最後で、彼は 「監督業に興味がある」 と言っていました。

彼のような栄光と挫折、ケガの苦しみを経験した人物はそうそういないでしょうから・・・彼が監督になれば、選手の気持ちが分かる「名将」になる可能性は十分あると思います。

いつの日か、彼が日本シリーズで胴上げされる彼の姿を見たいものですネ。


・・・このインタビューの「完全版」が、2月3日20:45から1時間、J-SPORTSでたっぷりとご覧いただけるそうです。

雑誌 『Number』 ともども、清原ファン必見の番組ですョ。

どうぞ、お見逃しなく!笑2



こちらの記事はhttps://ameblo.jp/warmheart2003/entry-10190630653.html?frm=themeより引用させて頂いております。