漫 画

2009-02-09 07:07:07
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私にとって初めて出会った「漫画」・・・それはやはり〝鉄腕アトム〟だったでしょうか。

「空を超えて~、ラララ星の彼方ぁ~・・・」音譜 今でも歌詞を覚えてます。

漫画界の記念碑といってもいい、この作品の作者は・・・もちろん、

手塚 治虫 

今日・2月9日は、氏の命日にあたります。

1928(昭和3)年に、大阪府で生まれた手塚氏。 曾祖父は蘭方医、祖父は司法官という家系だったそうです。 父はサラリーマンでしたが、当時としては珍しい映写機を持つハイカラな方だったようで、一方母も手塚氏に 『のらくろ』 等の漫画本を買い与えるような、結構サバけた方だったとか。

小学校の頃、友人に感化されて天文学・科学、そして虫に興味を持った手塚氏は、小四にして本名の「治」に虫をつけた「治虫」というペンネームを作っていたそうで、小五の時に描いた漫画は、先生が取り上げた後、職員室で回し読みしていた程ハイレベルな代物だったとのこと。あせあせ

終戦の年、大阪帝大附属医学専門部に入学した手塚氏は在学中も漫画を描き続け、医師免許を取得したにもかかわらず、母親の勧め(!)もあって漫画家の道を進むこととなります。

1952(昭和27)年に上京し、翌年に〝漫画家の聖地〟となるトキワ荘に入居。 その頃から 『鉄腕アトム』 の連載が始まったのでした。


        ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草-手塚治虫
 ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草-鉄腕アトム

子供時代の記憶の中では、テレビアニメとなった 『鉄腕アトム』『ジャングル大帝』、そして少年チャンピオンに連載された 『ブラックジャック』 が強く印象に残っています。

そしてちょうど私が社会人になった年からビックコミックに連載が始まった 『陽だまりの樹』、そして今でも弊社スタッフの必読図書にしている 『ブッダ』 等々、手塚作品は私自身のマンガ史の背骨となって、しっかりと記憶に残っているのです。

虫プロダクションを設立してテレビアニメ製作に進出した手塚氏・・・会社経営に苦しんだり、他の漫画家との軋轢などがあったようですが、柔和な見かけとは裏腹に大変負けず嫌いだった彼の性格が、それらの問題を乗り越えていく原動力だったのかもしれません。

1988年に胃ガンが発見された後も仕事を続け、昏睡状態から意識が回復するたびに「鉛筆をくれ」と言っていた手塚氏が遂に息を引き取ったのは、1989(平成元)年2月9日でした。

享年60歳・・・まだまだ活躍できる年齢でした。

現代ではあまり見られなくなった、柔らかい筆使いと夢のある漫画を懐かしみつつ・・・手塚氏のご冥福を祈りたいと思います。笑3




こちらの記事はhttps://ameblo.jp/warmheart2003/entry-10187947712.html?frm=themeより引用させて頂いております。